「いぶき宿通信」32

「一般社団法人(非営利)いぶき宿(じゅく)」通信2019 No.32 2019.7 

福島ミニバズツアー

2019年度に入り、4月からさまざまな学びの機会に恵まれています。
さくら咲く、三春の里:梅、桃、桜、春一色
三つの春が一度にやってくる三春
今年は春の満開をちょっと過ぎてから三春への旅となりました。4月25日26日と福島の現状を目のあたりに肌で感じる旅に出たのは、中学高校の同級生と同窓生など11人。
それでも「えすぺり」、大河原さんの自宅庭には桜が満開でした。

大河原桜人形劇

現場で「人形劇」を観劇した感想は、「やっぱり、現場で観るのは、東京で観るのとはちがう。
ずっとよかった!」でした。現場に立つことによる場の持つ力が語りかけてくるのだとあらためて感じました。
湯本の「古滝屋」さんに宿泊。あれから8年、湯宿での食事提供が困難な時期にあった「古滝屋」さんも夕食・朝食の提供が11月から始められていました。嬉しかったです。
次の日は、浜通を訪ねました。請け戸小学校の周りは一面除染土を詰めたフレコンバックが敷き詰められていました。何とも不気味な景色でした。道中、ここに他所から運び込むフレコンバックを積んだトラックにすれ違ったり、その後ろについたりして・・・『あ、放射能に汚染された地域にいるのだ』との実感が。トラックの運転手さんたちのことが気になりました。

請戸中間貯蔵ペースカー

富岡の警察前には昨年暮れに完成した「廃炉資料館」ができていました。
Jビレッジは見事な設備に大変身していました。
あの駐車場と前線基地だった頃の建物の姿が嘘のように。福島第一原発、第二原発への送迎バスが労働者を乗せて発着していたその場には、練習に来た小学生のサッカー少年たちを送迎するバスが。売店にはサッカーにちなんだお土産、サッカーグッズが売られていました。
請け戸の除染土フレコンバックの海原とはあまりの格差です。
ロータリーの芝生の上をロボットが行き来していました。何をしているのか?

Jビレッジロボットの芝刈り

楢葉には、『道の駅ならは』が前日にオープンしていました。
南相馬カリタス原町ベースで、復興食堂で注文したお弁当で昼食をしながら、スタッフのシスターから少しお話を伺いました。幼稚園では園児が増えているそうです。
浪江の『希望の牧場』では、たまたま吉澤さんが牛さんたちにキャベツをやっておられ、先日東京でのお話に参加していた人もいて、ご挨拶ができよかったです。

抗議の牛

東北高速道を北上し、磐越道を東に走り、国道6号線を北上、常磐高速道を南下して、福島県をほぼ1/4廻ってきました。
箱ものの復興が目立つ中で、人の少なさが、町のしずけさ・・・ひっそりさ・・・いぶきのなさが・・・妙に重たさに押しつぶされそうで、もの悲しい、うら寂しい、何とも複雑な感覚に襲われました。

 
『最後の一滴まで』
ヨーロッパの隠された水戦争
雪ノ下教会で5月4日ドキュメンタリー『最後の一滴まで』の鑑賞でした。「水道サービスは誰が担うべきなのか?」そして「水は商品なのか、人権なのか?」と問われています。
日本では2018年12月12日に水道法が「改正」されました。
世界では民営化によって生じた水問題に対して再度公営化される中で、日本では公営であった水道事業が民営化されました。逆行している日本の問題をあらためて突きつけられました。

水戦争

 

種子法廃止とタネの未来印鑰智哉さん講演
雪ノ下教会6月1日
化学肥料により土の力が失われ、土が死滅していった地球のいのちの源である土の話し。1cmの土ができるのに100年の年月を要するという話しは、除染が成される時によく聞いた話です。農業と無関係だった化学企業が農業に参入し、化学肥料・農薬をつくり、これらの企業が農業生産の在り方を支配していると。ここに種子、化学肥料、農薬の三点セットでの工業型農業が出来上がったのです。化学企業の爆弾をつくる工程がそのまま化学肥料製造に使い回されているとのこと。1996年以降は「緑の革命」遺伝子組み換え農業が始まり、戦争企業が遺伝子組み換えに参入して来たのです。
世界の4社が世界のタネの7割を独占し、そのタネは遺伝子組み換えであるという空恐ろしい実情。世界の種子市場の約7割弱、農薬の8割弱が6つの遺伝子組み換え企業が握っているという現実を学び、恐ろしくなりました。
日本では2018年4月に主要農作物種子法は廃止されました。農業ひいては「いのち」がどのようになっていくのか不安です。
飯舘村、同慶寺(相馬藩の菩提寺)、広野のバナナ、広野の綿花栽培などなど。

 

ショックだった飯館村の現状
ドキュメンタリー映画「飯舘村の母ちゃんたち、土とともに」の古居監督と一緒に、「飯舘村の母ちゃんたち」菅野栄子さん、よし子さん、そして長谷川花子さんを訪ねました。花子さんには、飯舘村を案内してもらい、忌憚のない現状を聞かせてもらいました。遠く神奈川で想像していることとのギャップ、現地に足を運び現実に触れてみないと分らないことが・・・
帰還された人たちが今、どのように前を向いて進んで行っていいのか・・・力が削がれ、見えない将来に戸惑っておられることがひしひしと伝わってきました。それでも、なんとか前を向きたいと自らを鼓舞しようとの努力が痛々しく感じられました。かける言葉を失いました。
箱ものは素晴らしく、次々と、今、これが必要なのかどうか疑われるような立派な箱もの、像などが・・・これからのメンテナンスはどうするのでしょうと。
帰還している人は???飯舘村に住民届けを出して一応は帰還のような状態になってはいても、実際には形だけの住民で夜家の電気はついていない所も。

飯館道の駅    幼稚園

(飯舘村道の駅)          (幼稚園)

聖歌ランアーの走る12号   家の前のフレコンバック

(聖火ランナーの走る     (家の前にはフレコンバック
国道12号線沿いは整備され     が囲いの中で、もぞもぞ
フレコンバックはないが)         と放射性物質を・・・)

原発事故後の人々の苦しみに寄り添っていた市の職員、当時、福島第二原発の厳しい状況の中で最悪のシナリオをくい止めていた人、被災者の僧侶として、いま自らの地元で人々のため、地域のために知恵を出し、甘くない現実の中で、日夜、奮闘され続けている姿に希望をみました。

                                        野上

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