「いぶき宿通信」No.19

「一般社団法人(非営利)いぶき宿(じゅく)」通信2017 No.19 2017.6

【福島の現状を知る旅】
久しぶりにミニバスをチャーターして福島の視察に出かけました。10人での旅でした。
東北道を郡山に向って走りながら、窓の外の景色に目を留めました。前回の通信でメガソーラーについて触れましたが、東北道のバスから見えた景色で一番ハッとしたのは、ソーラーパネルでした。耕作放棄地にソーラーパネルが並べられていることが気にはなっていました。が、いたるところがソーラーパネルで埋められていました。あのパネルの下の土が「息苦しいよ〜〜!」と言っているように聞こえて仕方ありませんでした。それだけでなく、あのメガソーラー程ではありませんが、小高い山肌が裸になり、ソーラーパネルを着せられているのにはびっくりしました。その脇の木々も伐採途中でした。写真を撮ろうとしたのですが、わたしの反応が遅く、バスはす〜と高速を走ってしまいました。
郡山から磐越道に入り船引三春で高速をおりました。4月の桜の時期には車の行列が出来る場所です。千年余の三春の滝桜を見に行くにはここからです。
「さんさんバザー」(地域のミニミニバザー)に「えすぺり」に農作物、加工品を出しておられる地域の方々が協力してなさっているミニバザーです。「錦糸かぼちゃジャム」を作ってくださる稲福さん、今年「錦糸かぼちゃピックルス」を作ってくださる村上さん、そして「エゴマのピリ辛しょうゆ漬け」を一緒に作りたいなとおもっている渡辺さん、そして地域の皆さんの懐かしいお顔に出会えてとてもうれしかったです。

バザー店バザー食堂

アロマハンドトリートメントの提供をしました。はじめての方がアロマハンドトリートメントを体験してくださいました。「手が動きにくく冷たかったのに暖かくなり、とても気持ちよかった」と言ってくださり、うれしかったです。そして、「たばこ」栽培農家の方で原発事故後3年経った時の悲しい現実を話してくださいました。ビニールハウスで栽培していて、ビニールの取り替えで、そのビニールを下に敷いてタバコの葉を収穫して置いたらば、その葉から放射能が検出されて全て廃棄処分になり辛かった話しでした。

【いわき魚業】
夕方いわき教会でミサに与りました。ミサ後に、漁業関係の信者さんがいわきの漁業の現状について話してくださいました。いわきではまだ8%ほどしか操業が戻っていないそうです。1割も戻っていないんです、7年目に入っているのですが。原発事故当時既に生まれていた魚で寿命の長い種類の魚はまだ、放射能が検出されるのです。が、寿命の短い魚は世代交代しているので検出されないそうです。しかし、消費者は福島の魚というだけでダメ。買ってもらえないのです。買ってもらえなければ魚を獲っても・・・これだけでなく、補償、賠償の問題も絡みいろいろと難しいことがあるとのことです。
「聖書にある『お金は悪』ということがわからなかった。が、震災後の賠償金、補償金をめぐってのやり取りの中で、「お金がなければ生活できないが・・・お金が手に入ると、とどまるところを知らないように要求が高まってくるし、要求のための理由付けも功名に考えられるようになってくる。聖書の言葉の意味しているところが、わかった!」とのお話に人の性の哀しさを知りました。賠償、補償はされなければ正義が行われません。が、とどまるところを知らなくなる要求で人は自らを貶めて行く現実もあるということ。

【浜通の現状】
広野町のJヴィレッジがどのようになっているのか・・・サッカーボールを目安にビレッジへの道を進んだのですが、今までと全く様子がちがいました。前線基地になっていた建物の傍にも行くことが出来ず、工事のためそこへ通じる道は全て封鎖。ビシッと並んでいた車もなく、
整備されていたアスファルトは全てはがされ、サッカー場への復興途中でした。

かつての前線基地j-道を挟む事務所?
(かつての前線基地)         (道を挟んで飯場?事務所?)

【請戸小学校のあった請戸地区】
生憎の曇り空に、深い霧のために今回全くと言ってよいくらい視界が悪くあたりが見えませんでした。それに加え、小学校の入り口は閉ざされ、近づくことが出来なくなっていました。
7年目ともなると確かに何時どのような崩壊があっても不思議ではないのですから。

請け戸小学校請け戸小学校②

(2017.6学校の入り口)           (2013 左の写真の奥)

請け戸墓

(かつて祈りを捧げた、お墓も片付けられ跡形もなかった)

小学校からIF小学校窓からIF

(対岸に見える1F —2013— 小学校の窓から見える1F)
かつての状況を知らない人にとって、請戸地区は家々が立ち並び、人々の生活のいぶきがあったということを知る手がかりはなくなっていました。「ここにも家があったんですか?」
小学校があったから、人は住んでいたに違いないと想像するしかないような状況でした。
霧が深かったために焼却炉も隠されていました。下の写真のように見える筈でした!

焼却炉焼却炉②

(2017.1 に小学校の玄関を背にしてとった写真)

【浪江「希望の牧場」】
浪江の希望の牧場を訪ねました。

希望牧場①

(牧場に地震で亀裂が/2013)

希望牧場フレコンバック
(牛とフレコンバックが共存している/2017.6)

【ふる里からの手紙—楢葉より】ー作詞作曲:梅原司平
あの朝駅の赤いポストに入れた手紙はどこへ
人影もない浜通には柚の実がうれていた
ふつうに笑ってふつうに泣いたいつものあの日を返して
ただいま おかえり さりげない言葉が
こんなに大事なものとは しらなかった
あぁ ふる里 それは私の生命
あぁ ふる里 それは私のすべて

心の傷は癒えなくとも外見は刻々と変化し、次第に何があったのか忘れられていくようです。忘れてはいけないことをしっかりと心にとめておきたいです。   野上幸恵

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