「いぶき宿通信」No.18

「一般社団法人(非営利)いぶき宿(じゅく)」通信2017 No.18 2017.5

【相馬伊達太陽光発電所 メガソーラーの現場】
通信15号に記載したように片平さんの話しが心から離れず、5月24日片平さんを訪ねてメガソーラーの現場を案内してもらいました。
東京ドーム50個分のメガソーラー。

メガソーラー予定地

想像がつきますか?このために何が起こるのか・・・
太陽光発電はよいものだとの認識。どんな太陽光発電もよいものだと短絡的に理解してしまう危うさを今回程身に滲みて感じた事はありませんでした。それも、現場に立ってメガソーラーが大自然に対して何をどうするのか、目の前で説明してもらい、メガの意味を身体で感じる事が出来たからだと思います。言葉だけでは実感が出ません。山並みの見える場所にたって、あの山のその地点から稜線を辿ってどこまで(見える範囲)の6倍の広さだといわれて、「え、。。。」(目が点になるなんてものではありませんでした。想像がつかないわけです。)
そして、今見えている山並みが崩され、形が変えられ、緑がなくなり、ソーラーパネルが並ぶのです。それだけでなく太陽の反射熱の影響が連鎖する事、蓄電するために起こる低周波の影響・・・送電は地上では不可能なので地下ケーブルでの送電になること。自然破壊は連鎖していきます。パネルは南向きに立てられなければ効率が悪いので山の形は変えられることの説明にも、「そうなんだ」と自分の想像力の乏しさを今回はこれでもかこれでもかと畳み掛けられたようでした。

無くなる山(あの山の翠は失われ、いのちのないソーラーパネルが立ち並ぶ)

この現場の麓には、鶏糞が何年も何年も廃棄されていました。これも半端な広さではないです。「鶏糞なら、いい土壌になるんですよね!」
と有機肥料のことを考えていたら、「鶏糞ばっかり何十年も廃棄しているから駄目だ」といわれて、「そういうものなのか!」と一つの種類だけではいのちは生きていけないんだ、多様な
ものの共存があってこそいのちは永らえるもの
なのだという事に気づきました。

鶏糞の廃棄場と無くなる山(消えゆく山と手前の鶏糞の廃棄場)

「過疎地はどこも同じ問題をかかえている。
過疎地だからメガのため利用されるんだ」との片平さんの言葉に、辺境の地、過疎地がメガに狙われている現実が日本の各地で起こり、地球規模でも起こっていると理解しました。

反対運動の93才と
(93才のおじいさんとその息子、片平さんの3人でメガに立ち向かう)

 

【第11回Cosmosカフェ  「原発事故後起きている新たな電力問題」】
Cosmosカフェは「いのちの光3・15」として原町教会信徒有志と地域の市民により2011年以降の生き方を考えることをテーマとして学習会を2014年から企画しておられます。学びの場を「カフェ」と名付けて11回目はご自分の牧場に隣接する山を崩しての自然破壊、いのちの破壊、過疎地を狙うメガソーラーの問題がテーマで、反対運動をしておられる片平さんが講師でした。

11回カフェメガ説明

ソーラーパネルが悪いわけでなく、大規模に自然を破壊していのちの循環を断ち切ること、また、メガにしなければならない理由が経済、利潤追求のためであり、そのために人口減少が起こっている過疎地が狙われていることだと片平さんは強調されます。いのちが殺されていき、人のいのちも危険に晒されるわけです。
相馬玉野地区だけでなく、同じようなことが長野でも進められているとか、いたるところ過疎地は色んな意味で狙われているのです。

【牛さんたちはどうしてますか?】
片平さんの牛さんたちのその後の様子も気になっていましたので、牛たちに出会えたのもうれしかったです。
片平さんの牧場にもあの日放射性物質が降り注ぎ、いのちの大地にその忌まわしい物質が堆積してしまったのです。そのために、牛たちは牛舎に繋がれたままになりました。何度も交渉を重ね、引きはがされた土壌に再度牧草を植え、放射能が検出されなくなるまで、繰り返しの植え替えで、やっと放牧が可能になったのが去年でした。それまで牛たちは仲間を失いながら牛舎で耐えて来たのです。その耐えたあとが、放牧されている牛たちの足に残っていました。痛々しい姿でした。

変形した牛の足

(牛舎に繋がれていた数年で変形した牛の足、仲間を失いながら)

広々とした牧草の間で草を食んでいた牛たちに片平さんが「こい、こ〜〜い、こい」と優しく呼ばれると、三々五々、牛たちが呼ばれた方によってくるのです。大きな身体の円な瞳でよってくる牛たちの表情は穏やかで優しく、心なしか口角があがりうれしく笑っているようでした。まるで、なでてくれといわんばかりに柵に顔を寄せてきました。

牛さん撫でてと呼ぶと来る牛

この日の朝、片平さんが牧場に出て見ると、なにかいつもと違いそこにうずくまっているものがあり、子牛が生まれていた事に気づかれたそうです。早速息子さんを呼び、子牛を牛舎に入れる事になったのですが、牛たちを放すのに一苦労されたそうです。生まれて数時間の子牛をみたのははじめてでした。初乳を飲んだ後なので満足してゆったりと座っていました。隣りのお姉さん牛が鼻でなでているのもかわいらしかったです。久しぶりの牛たちとの再会でした。

子牛
(いたわり合う動物の世界)

野上幸恵 記

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