映画

「いぶき宿」通信17

「一般社団法人(非営利)いぶき宿(じゅく)」通信2017 No.17 2017.5

『飯舘村の母ちゃんたち土とともに』

映画が完成し、上映がはじまっ手から1年経ちました。
昨年2016年5月に東京の東中野のポレポレで公開されたのを皮切りに各地で多くの人々がみてくださっています。
1年経って、韓国・全州(チョンジュ)国際映画祭に招待されました!
この映画祭はアジアを代表するインディペンデント映画祭として注目されています。それに正式に招待されました。ちなみにインディペントという映画というのは、大手映画製作会社以外で作られた映画のことだそうです。
そして、韓国での映画祭参加直後に製作実行委員会主催で『上映&トークと交流の集い』がJICA地球広場国際会議場で開催されました。

映画

 

会場には100人近く足を運んでくださっていたでしょうか!その2/3ほどの人は、この映画を初めて観る人でした。うれしかったです。
福島への、そして原発事故の結果を生きている人々への関心が多くの人々の心の中で燃え続けている事が。忘れ去られていく、福島からの距離が遠くなるにつれて思い出されなくなるという淋しい話しが伝わる中で、なんとかして現状を伝え続けていく事、それに関心を持っている人と繋がりを広げていく事の大切さをあらためて感じました。

忘れているわけではなく、気になりながらも余りにも重たい問題であるために尻込みしている人が多いという事も実感しています。その人たちへも現実、現状を知ってもらうための広報活動は必要だと思いました。
何が起こり、そのときどうだったかという事を映像としての記録に残していく事の大切さ、そして、そこに生きている人々の生活を過不足なしにそのまま残せるのはドキュメンタリーの力だと感じました。文字になった言葉では伝わらない事が、生活者として生きている菅野栄子さん、よし子さんの言葉の調子、声音、笑い声と表情の複雑に絡み合った奥にあるこころもちは・・・
『笑ってねぇど、やってらんねぇ!』
ご自分でも泣き笑いだとおっしゃっていました。
このことばがいつまでもこだましていました。
個人的には3度目の映画鑑賞でした。しかし、今回はトークも交えてとても印象深いものでした。トークのために福島から菅野栄子さん(主演女優!)、酒井政秋さん(飯舘村村民)が監督の古居さんと一緒に分かち合ってくださいました。栄子さんは、原発事故から7年、悩みに悩み続けた年月をすごしてこられました。村に帰るか帰らないか。村にはなにも無くなった。生活していくためのものがなにも無くなった。これからは支援してくださる人の力が自分の生きる唯一の力となっていくと語られた。そして心がいかに豊かであり、共に生きようとする姿が、これからの生きる原動力となるとしみじみ語られました。そして人間らしく共に生きていけるかが挑戦であり、自然に感謝しながら共に助け合って生きていきたい。ご自分が村に帰る決断をした事、かえる目的について語られました。先祖代々、辛苦を舐めながら創り上げ生きて来た美しい故郷、それを断ち切る事は出来ない。飯舘村の再生の土台を作り、飯舘村の歴史を後世に伝え、孫、ひ孫がいつか帰って来るかもしれない時に先祖が自分たちに残してくれたうつくしい村を手渡すために帰る。そこで生活しながら、原発事故の中で生きるという過酷な人生をしっかり原発事故の物語として、そのもの語りは未来へ向かっての物語であり、生きる力を再認識しながら生きていく、と力強く述べられた83才の栄子さんの姿が神々しかったです。それだけでなく、村で生きていく中で、科学者にも責任があること、行政のやり方、国の責任も追及していきたい、避難民になり、帰る事が困難なところに帰らされる難民となり、忘れ去られる棄民をなっていく事に黙って甘んじるのではなく、おかしい事はおかしい、人間らしく生きるために言うべき事はいっていくんだとの確固とした決断に会場からは自然と暖かい大きな拍手がおこりました。
酒井さんは飯舘村で生まれ、大学のために上京。しかし東京が肌に会わず福島に戻り飯舘村で婦人服製造工場に勤務し今後を考えている中で東日本第震災、原発事故に遭われました。仮設住宅に暮らす人々の声を聴き『ふくしまの声』として発信。現在はWELTGEIST FUKUSHIMAのライターとして、原発被害糾弾、飯館村民救済申立団事務局として活動しながら、通信制大学に在学している40才です。
2013年のトークイベントで彼は、30年後、飯舘村の村民としてプライドを持って生きている姿が見えると言っておられた。帰村宣言が出された時の村長の発言から、村民は切り捨てられ、棄民となったと感じられたそうです。栄子さんも親戚の村長は村民の立場に立って発言すべきで、国サイドにつくべきではない。折角選挙運動をいのちをかけてしたのにと口惜しそうでした。彼は今日のトークでは正しい情報を発信する事が如何に大切かを強調し、想像と不正確な情報が偏見と差別を生じさせると話され、自身で正しく正確な情報を発信する努力をされています。が口封じの圧力があるそうです。

帰還困難地域での山林火災

福島県浪江の帰還困難地域
「福島・浪江町の山林火災は発生から12日目の10日午後3時すぎに鎮火が確認されました。火災後に県が設置した大気中の塵に含まれる放射性物質の測定器では、8日の放射性セシウムの値が浪江町で前日の約3倍、双葉町で前日の約9倍に上昇している事が判明。」
(日テレ2017.5.10)
「浪江の山火事、12日目で鎮火 放射線数値の変動なし」
2017年5月10日22時49分 (asahi.com 見出し)
上記のように報道による情報には様々ありました。
わたし自身は山林火災が起こるまで、このような危険を考えていませんでした。
これを『想定外』というのでしょうか?それでは、あまりにもお粗末だと今回気づきました。山林にはあの運命の日に降り注いだ放射性物質が堆積し、除去(移動)もされていない事は重々承知していたのですが、放射能に汚染された木々の落ち葉が燃えるとどういうことになるかは実際には想像に難くなかった筈でした。が、・・・・
楢葉にお住まいのシスター方のことが気になり、連絡を取りました。
お電話での話しに、驚きと怒りが新たにわき上がりました。浪江の山林火災を千葉のご親戚からの連絡までご存じなかったのです。修道院のすぐ上は広域避難場としての大きな運動公園があります。
朝5時前から夜までヘリコプターが止むこと無く、風とほこりを吹き上げ、轟音をとどろかせていたので、「何事がおこったのか?!」と、激しい自宅の振動に耐えておられたそうです。たまたま数日後、畑仕事をしている時に町の防災アナウンスがあり、何か言っていたとか。
この話しに何とももやもやとした不気味なクロクモのようなものが心の中に広がりました。

このような状況の中で、高浜原発が再稼働しました。何がどうなっているのか不思議でなりません。どうしてまだ、原発を動かす事ができるのでしょうか?経済優先なのでしょうか?
原発事故は地域のみならず、国、世界、地球、の問題なのに!          (野上幸恵)

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