「いぶき宿」通信 No.9(2016.4)

2016年3月11日東日本大震災・大津波から丸5年、それを引き金としての3月12日福島第一原発核事故から丸5年。

2011年夏から岩手県大船渡での支援活動を続けていたことから、毎年3月11日は大船渡教会でのミサに参加しています。

今年も1時半からのミサに参加しました。

その1週間前に当初から関わりのあったUさんが神さまのもとに帰られました。もう1週間待っていてくださったらお会いできたのに!と残念でした。でも、お訪ねしてお線香を上げることができたのは本当に幸いでした。

高齢の奥様と息子さんがご遺骨を安置してある祭壇に案内してくださいました。
仮設から復興住宅に引っ越されたということは耳にしていました。復興住宅に移られて半年だったそうです。

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Uさんに関してはたくさんの想い出があります。
心臓の大手術後、退院して1時間後の大地震、幸に息子さんが一緒だったので避難ができたのです。が、避難所での厳しい寒さの中での生活。多くの人に支えら れたと言っておられたのを覚えています。その中でも、「ずっと死ぬことしか考えていなかった」「死に場所を求めてさまよっていてパトカーで家まで送られ た」などなど、生きる意欲も意味も見出せずに苦しんでおられた姿です。そんな時につくってもらい始めたのが、あの素敵な「ふくろうのストラップ」でした。 ベットの上で一つ一つ丁寧に仕上げておられたお姿が彷彿とします。奥様とお二人でつくり続けておられた「ふくろうのストラップが遺品となってしまいまし た。

今回はじめて新花巻、釜石そして釜石から「三陸リアス線」で盛(大船渡)にはいりました。
リアス線沿線の風景も懐かしかったです。
吉浜は前の大津波の時に、全村高台に移設した村でした。反対も多かった中での村長の決断での全村高台移設でした。そのおかげで今回の大震災・大津波では被災者が一人も出なかった村でした。海辺は破壊され、5年後の今も復興中でした。

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越喜来小学校の跡には何度も足を運びました。
また、多数の犠牲者がでた「越喜来の高齢者施設」では、突然波に攫われた高齢者が「来てください」と頼んでおられるようで、引かれるようにたびたび慰霊碑の前で祈りをささげた場所です。その場所は綺麗に、跡形もなく整理されていました。複雑な思いでした。

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越喜来小が建っていた付近

帰りは大船渡、陸前高田、気仙沼を通って一関に出ました。
大船渡、陸前高田の差にはあらためて驚愕しました。大船渡では2時46分に海に向って手を合わせました。

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大船渡教会から海に向って

大船渡湾の湾口には湾口防波堤がつくられていました。湾口防波堤に関してもいろいろと意見の分かれるところだったのです。
あの日に海のヘドロが全て津波で底を攫われて陸にあげられたのです。その後、大船渡湾は綺麗になったのですが、この高く建てられた湾口防波堤は大船渡湾をどのようにかえていくのでしょうか。

大船渡湾沖の湾口防波堤

大船渡湾沖の湾口防波堤

陸前高田では嵩上げの高さ、その盛り土の強度に不安を感じました。

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盛り土、大丈夫?

盛り土、大丈夫?

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奇跡の一本松の周りの景色のあまりもの変化に言葉を失うようでした。大自然豊かな海辺の松林がなくなっただけでなく、海が見えない程に堤防がそびえ、一本松の傍にベルトコンベアー、勿論いづれこのベルトコンベアーは外されるでしょうけれども・・・
海が見えないほどの堤防で波を防ぐのかもしれませんが、川の流れは町中を、一本松の傍を走っています。川を津波はかけのぼり、人々を、町を、自然を飲み込んではいかないのでしょうか、あの日のように???

気仙沼の港にさしかかると、景色が一変。

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漁船がところ狭しとひしめき合うように繋留していました。何か、ホットしました。
(野上幸恵 記)