「いぶき宿通信」No.31

「一般社団法人(非営利)いぶき宿(じゅく)」通信2018 No.31 2019.3

8年目の3月11日、3月15日
 東日本大震災、福島第一原発核事故から8年。
今年も3月11日、15日がめぐってきました。
この8年の間、変わったこと、変わらないこと、そして、しんどさが増していることなど・・・
福島から距離的に離れれば離れる程、何だか原発事故に関しては忘れ去られるだけでなく、あたかも「そんなことがあったのね」日常的にはそんなことなかったかのような空気が漂っているように感じられます。
 そんな中、古都鎌倉では2011年4月11日に諸宗教による追悼慰霊、祈りの集いが2012年からは3月11日に途切れることなく続けられて来ています。2011年4月11日の第1回は鎌倉鶴岡八幡宮で開催されました。
そのときの印象は今でも鮮明に心身にしみ込んでいます。八幡宮の舞殿に各宗派の宗教者代表が昇りそれぞれの祈りを捧げたのです。神主さん、僧侶、カトリック司祭、プロテスタント牧師と。鎌倉在住のそれぞれの宗派の僧侶の方々がご一緒に〈般若心経〉を読経され、これに参加者が唱和した、あの肚に響き渡る読経が今でも身体に木霊しています。その後、宗教毎にグループをつくり由比ケ浜まで祈りのラリーをして、浜にも祭壇を設けて海に向って、それぞれの宗教が祈ったこと。浜での祈りの最中に、突然、参加者の携帯にけたたましく「ヒューー、ヒューー」と警報がはいったのです。同時に砂浜が揺れました。大きな地震でした。一瞬騒然としましたが津波がないことを確認し、祈りが続けられました。この体験は、3月11日の大震災の1か月後であっただけに、強烈な印象として私のうちに生きています。
『東日本大震災 追善供養 復興祈願祭
「趣意書」
鶴岡八幡宮      宮司  吉田 茂穂
鎌倉市仏教会会長   覚園寺 仲田 昌弘
キリスト教諸教会   司祭  山口 道孝
 3月11日の東日本大震災は、我が国にとって正に未曾有の大災害となりました。多くの尊い命が失われた上、大津波、加えて原子力発電所

の事故により避難を余儀なくされた被災者の方々は、現在数十万人にも及んでおり、日本は大変な国難に直面しています。
 かつて、鎌倉に幕府がおかれていた時代、国難に際して社寺がまとまり、乗り越えるための御祈願が執り行われておりました。いま、歴史を経てふたたび、神道、仏教、キリスト教の宗旨・宗派を超えて合同祈願を執り行うことに致しました。
 この大地震のちょうど一年前、鶴岡八幡宮の御神木、樹齢1000年の大銀杏が突然倒伏しました。大変悲しい出来事でしたが、日本全国からの励ましの声と共に、今は残された根元から多くの新芽が未来に向かって力強く成長を続けています。
 犠牲者を哀悼し、日常生活を奪われている被災者の皆様に思いを寄せ、鎌倉中の宗教者たちが心を一つに祈りを捧げ、被災地のみならず、日本中に「復興の芽」が力強く育つことを切に願っております。お時間の許す限りご参列下されば幸いです。
 鶴岡八幡宮舞殿での祈願祭終了後、建長寺や円覚寺などの修行僧やキリスト教会の神父、牧師、シスターが、義援金の寄付を呼びかけながら、小町通りと若宮大路を歩き、由比ガ浜に向かった。集まった義援金は、東日本大震災追善供養復興祈願祭参加者一同として日本赤十字社に寄付された。』
『舞殿での祈願祭には約1万人の市民も参列し、舞殿前に設けられた焼香台で焼香した。舞殿では海が穏やかになることを祈願して「浦安の舞」が奉納された。』
(鎌倉で3宗教合同の復興祈願祭—東日本大震災⑰より)
 今年はカトリック雪ノ下教会で開催されました。(www.praykamakura.org鎌倉宗教者会議で見ることができます。)

『いのちの光3・15』
 3月15日に原町教会で大震災、原発事故(核事故)8年目の追悼ミサ、講演会が開催されました。久しぶりに常磐線で福島まで行きました。まだ全線開通していませんので、一部代行バスで6号線を走りました。6号線大熊町、双葉町、第一原発が近づくにつれ、バスの中での線量計の数値は一寸意外な程にあがってきました。6号線を車で走れるようになった直後以外は、あまり驚かなかった数値ですが、今回ばかりは、正直何がおこっているのかしら?と様々な想像が頭の中を駆け巡りました。代行バスに乗ると車掌さんからは、「帰還困難区域を通りますので、窓は決して明けないでください」との注意事項もありました。6号線を通る時には窓を開けてはいけないことは今までとかわりません。が、働いている人はいるのです。
 同慶寺のご住職、田中徳雲さんの講演からいろいろなことを学びました。時間が短く充分に語り尽くされなかったことは残念でしたが「『原発事故後の福島で生きる』〜7世代先の子どもたちのために〜」と言う小冊子をくださり、そこから更に何をしたらいいのか、ビジョンをもらえました。同慶寺は、相馬藩の菩提寺であり、相馬藩は源頼朝から領地をうけています。
『一番最初の祖先は、平安時代の相馬小次郎将門。あなたがたは平将門(たいらのまさかど)というけれど、将門は相馬の姓を名乗っていたんですよ。』『有名な「相馬野馬追(のまおい)」は1千年以上続いている行事だけれど、もともとは将門が始めた軍事演習でした。江戸時代も神事として続けられ、明治以降は相馬家が東京へ移ってしまったから、当主不在で行われてきた。』『第2次大戦の最後の年、相馬野馬追は中止のはずでした。でも、その人は先祖代々ずっと続けている伝統を途絶えさせるわけにいかないと思い、一人でも決行しようと鎧(よろい)を着て、家族に別れを告げ、神社へ向かった。すると、大勢の人が同じ思いで集まっていたそうです。米軍の飛行機が飛んでいる中、決死の 覚悟で行われた相馬野馬追――。命がけで1千年以上の伝統を守ってきた、という話でした。相馬野馬追は、彼らの魂であり、宗教のようなものだとわかりました。』(相馬家33代当主の話し)
 16日は仙台教会で小児科、精神科医の北川恵以子さんの講演会でした。北川さんは原発事故後毎月福島に通い、子どもたちの健康(心身)の相談を受けて来られ、その経験からお話しくださいました。
 2月の末には「正義と平和協議会全国担当者会議」も行なわれなした。
 2月の脱原発グループでの話し、15日の田中徳雲僧侶の話し、そして北川さんの話しにきせずして同じ提案がなされたことが大きなインパクトでした。共通してはなされたことは、「保養」でした。「原発事故後を生きる人々」にとって保養がどれほど大切であり、必要なことかが理解できました。どのような保養であれば、子どもたちにとって生きる力をつけていくものになるのかと、具体的にはご住職の生き方、そして活動の紹介から大きな示唆が与えられました。ご住職自身の保養に行かれた体験の分かち合いも説得力がありました。
 「自分はどう生きていくかを問われている。それが、今回の福島の事故。それに尽きる」「国の政策は・・・もっと闇になって行くよう。8年経っても。・・・明けない夜はないから必ず朝がくる。私たち自身が光になって行く。光を求めていました。それでもいいのかもしれないけど、自らが光になって行くということ。その為に現実の生活と求める生活とをどういうふうに擦り合わせて行くかという、今そういう段階。強いていうなら、芋虫から蝶になる。地球を食いつぶしてしまう芋虫から蝶になる。蜜を吸い、受粉を助けて行く蝶になる。今はさなぎの時期。日常のできることからしていく。蝶々が飛ぶ練習のとき、飛ぶためには沢山持っていたら飛べない・・・手放していくことが大切」(田中徳雲住職のはなし)ご住職が話された保養は、福島のひとたちだけに必要なのではなく、病んでいる日本社会に生活している子供たち、大人たち皆に、日本だけでなく、痛めつけられている地球の家にすんでいる人々皆に必要な、本当の人となるため、人を取り戻すための保養なのだと納得しました。


「いぶき宿通信」No.30

小浜原発僧侶「一般社団法人(非営利)いぶき宿(じゅく)」通信2018 No.30 2018.12

主の御降誕と新年のお喜びを申し上げます

   本年のご支援に心から感謝申し上げます。来年も宜しくお願い致します。

鎌倉市民クリスマスパレード
11月8日(土):キリスト教/プロテスタント、カトリック、仏教の僧侶も参加しての主の降誕をつげ、平和を祈願するパレードでした。祈りの集いは雪の下教会の敷地道路脇で行なわれたので、若宮大通りの観光客、鎌倉八幡宮への段葛を歩いている人たちも何事かと、車も徐行しながらこのイベントを覗いていたり・・・
多くの人の目に触れました。

市民クリスマス
平和の光を鎌倉の地から

お坊さん、牧師さん、神父さんたちが壇上に並んで祈っている姿を、若者は「聖(セント)にいさん(仏陀とキリストの漫画)、みたい」とコメントしていたのが印象的でした。

聖にいさん
宗教者が一つとなって平和のために

また、段葛で止まってみている人は、積極的にプログラムを受け取ってくれたり、賛美歌を歌っているときなど、一緒に歌いながら段葛を歩いている人も見られたり、その人々の顔は心なしか緩みほころんでいるようでした。

共に生きる地球家族
第40回日本カトリック正義と平和全国集会が、11月23日(金)24日(土)と名古屋で行なわれました。16の分科会に分れ、日本社会の様々な課題を取り上げた分科会でした。
どれもじっくりと耳を傾けたいものばかりですが、1点突破全面展開と個人的には、分科会「美しい若狭を守ろう〜世界一原発密集地域から」に参加しました。

小浜原発僧侶

ここでの講演者は50年間一貫して原発拒否し続け、小浜市の原発設置を拒否し続けた運動に取り組んで来られた僧侶でした。
中嶌哲演さんは小浜市明通寺の住職です。ご住職はガリ版手刷りのちらし「鈴声」を一軒一軒托鉢しながら配り続けられたのです。それには原子力発電がどのようなものかが書かれ、若狭が原発銀座となるように狙い撃ちされていることも・・・2012年には大飯原発再稼働に反対してハンガーストライキもされ、2014年には福井地裁で勝訴判決を勝ち取っています。が、
大飯原発3号機、4号機について、地元の福井県おおい町議会は、再稼働を容認することを決め、町長に報告しました。これを受けて、町長は近く再稼働を認める町としての意向を福井県知事に伝えるとみられています。
政府が求めていた地元同意のうち、初めて再稼働を容認する判断を下したおおい町議会。
時岡町長は近く、町としての意向を西川県知事に伝える見通しです。(2012.5.14 TBS Newsネットより)
2018年3月14日に3号機が再稼働しました。小浜住民は原発立地地元ではないということで、小浜市民の反対は却下されました。
ちなみに大飯町の人口は8,351人、世帯数3,183小浜市の人口は29,398人世帯数11,987
小浜市も放射能の影響をもろに受ける地域であるにもかかわらず・・・何ともおかしな理屈。

朗読劇 線量計が鳴る 〜元原発技師のモノローグ〜

脚本・出演中村敦夫の朗読劇が12月16日に鎌倉生涯学習センタ—ホールで行なわれました。2時間の朗読劇は迫力に富み、原発の全貌が見渡せ、点での情報が線になり、面になり、立体として見えてくるようなものでした。
「右を向けと言われたら右を向き、左と言われれば左を向き、死ねと言われたら死ぬと。俺はもう、そんな日本人にはなりたくねえんだ。」

中村敦夫

「起きてしまえば、原発事故は戦争に匹敵する巨大なテーマである。正面から取り組まなければ、表現者としての人生は完結しない。」
原発に関して「一から学び直し、問題全体を血肉で理解する必要を感じた。」血肉で理解するとはどういうことなのだろうとちらしに書かれた中村さんの言葉が心をついてきました。今の福島の姿だけでなく、今の姿になる越かたを掘り下げ、チェルノブイリを訪ねて、これからの福島の姿を捜した中村さんの原発に正に、正面から向き合っている姿が朗読劇の中からもビンビンと伝わってきました。
舞台のスクリーンには必要に応じて資料が映しだされました。データーを読み込み、出された事実とその背後にあるものをみすえて脚本がつくられ、朗読がすすめられて行きました。ここに、この朗読劇が事実だけでなく、真実を追究していることが理解できました。
「マスコミは大スポンサーである電力会社に忖度し、反原発の言論を神経質にチェックする。日本は、『報道の自由』世界ランキングで、70何位と言う不名誉な評価を受けている。まさに、報道統制国家である。・・・
この境遇の中で、表現者が『真実』を披露するのは可成り困難である。・・・私は複雑な情報を整理し、材料を取捨選択し、原発の抱える本質的な問題と構造が誰にでも分りやすく見えるような作品を書こうと決意した。・・・私は、原発と言う巨大テーマに、素手で立ち向かうことになった。」(『線量計が鳴る』中村敦夫P.6)
78才にもなられている中村さんは、2時間の朗読劇を全身全霊で立ったまま演じておられました。気魄を感じました。
「ジャーナリストにとって大事なことは、単なる事実報道ではなく事実に基づいた真実を伝えることだと思います。いまのマスコミも確かに事実は伝えています。福島原発事故の際の政府や東電の発表も一つの事実ですから。しかし彼等が言うことの裏の面やまだ明らかにされていない事実があるかもしれないことに注意を払い、それを掘り起こさなければなりません。・・・どこにもこびず、焦らず、数十年先を見通す目を持って、時間をかけて時代を撮り続けることの大切さが、この年になって分ったというのが今の実感ですね。」(『消される原発労働をおいかけて』樋口健二)撮影50年炭坑労働者、四日市公害、水俣、そして原発労働者の写真を撮り始めて38年。とても説得力のある言葉です。この二人がどこか繋がっているように感じました。

「この本の二作は、プロ、アマチュアを問わず、原発ゼロを目指す人々によって、どんどん上演されることが作者のねがいである。」(同上p.7中村敦夫)
ありがたいお言葉です!プロ、アマチュア問わず、脚本を使っても良いと言う・・・

                                    野上幸恵記


「いぶき宿通信」No.29

「一般社団法人(非営利)いぶき宿(じゅく)」通信2018 No.29 2018.10

秋刀魚パーティー
大船渡でボランティアをしていた私たちは、秋になるとあの秋刀魚が思い出されます。大船渡で水揚げされた秋刀魚の美味しかったこと!
魚屋さんの店先で、包丁さばきに見入っていたことが懐かしく思い出されます。
秋刀魚の刺身が美しい包丁さばきで、見事に皿に並べられて行くのを感嘆しながら眺めていました。あのおいしい秋刀魚を内陸の農家の人たちに味わってもらいたいと、大船渡から送ってもらい秋刀魚パーティーをしました。
集まったのは、私たち「いぶき宿」と関わりを持っている人たち。「えすぺり」の有機農業の大河原さん、荏胡麻の渡邊さん、有機農業のために移住された稲福さん、有機農業しながら、加工しておられる村上さん、有機食材を加工しておられる「ままりん」さん親子、そして、「えすぺり」の食堂をされている大河原さん若夫妻と、大河原海さんと一緒に「堀越ファーム」を立ち上げられたファームの社長さん。
堀越地区の農業を引き継ぐ、たった二人の若手農業者です。

秋刀魚パーティー②

荏胡麻の渡邊さん、10月18日(日)の
テレビにでます。どのチャンネルかは、地方によって違うと思いますので、

チェックしてください。また、11月11日「朝日新聞」サンデー版でもとりあげられます。
是非みてください!

「いつもは1尾なのに、今日は2尾もたべていいんですか?」うれしそうな笑顔が皆さんの顔に広がり、その笑顔が心なしか、都会では久しく出会えないとても素直な、純な笑顔だったことが印象的で、これを書いている今も思い浮かんでくる程でした。
「堀越ファーム」は、堀越地区の耕作放棄地や後継者のいない農地を守るために農業を会社組織にして、いのちの大地を継承して行くために立ち上げられたのです。地域に二人しかいない後継者が、一緒に頑張ることができるために親たちの代の農業従事者が二人を農業指導をし
ながら支えています。次の世代に「いのちの大地」を手渡して行き、いのちの源を人々に届ける道を断たないための取り組みです。そんな彼等と共に歩むことを許されている私たちは本当に恵まれた者だと思いました。
このメンバーが一同に集まったのは初めてだったようです。これをきっかけに同じ志をもって食物を作っている人たちが、コラボできればと話し合いがなされていることをみて、「あ、よかった!秋刀魚パーティーが皆さんの繋がりをもう一歩深める、広がりを持たせるきっかけになったのかもしれない」と感慨深かったです。
【堀越地区】

堀越2050

この立て看は、大河原さんの自宅前、かぼちゃ小屋の裏の堀越南小学校の子どもたちが立てたものでした。そして後ろに見える建物は大河原さんの自宅です。
錦糸かぼちゃ(そうめんかぼちゃ)ジャム
今回は、福福堂さんに加工をお願いしている「錦糸かぼちゃジャム」のラベル貼りも作業の一つでした。出来上がったジャムに一つ一つラベルを貼りながら、育ててくださった大河原さん、加工してくださった稲福さん、そして寄附購入してくださり味わってくださる方々を繋げるジャムなんだなとの思いをかみしめながらの作業でした。

ラベルはり

早朝の畑
次の日朝早く、畑にいきました。秋刀魚パーティーには新米でのおにぎりが作られる筈だったのです!が残念なことにお米の脱穀ができなかったのです。というのも農業は気候に大きく左右されます。はさがけしてある稲が渇いていないと脱穀できません。今日はお天気、明日にでも脱穀と思っていると次の日には雨、渇いては濡れがこのところ続いていたのです。

稲のはさがけ

毎月大河原さんの野菜を仕入れて販売してくれているのは東京大森の支援グループです。
そこへ送る野菜を収穫に行きました。
朝穫りの新鮮な野菜を送るためです。
「これ、人参!」
「ここ一面、人参を植えたんですよ。今年は沢山の種を蒔いたんですけど、でも、みてください!このほんの少しの所だけそだっているでしょう!あちらはもう凡て掘り起こしてしまったんです。草取りが追いつかなくて、抜いても抜いても、雑草が生い茂って。雑草を抜くときに少し大きく育っていれば次の雑草抜きまで負けないんですけれど、そうでなければそだたないんです。相談して、あちらはみな、耕耘機で掘り返してしまったんです。淋しいですね。」雑草に負けずに育ったのはほんの少し。本当にさびしいですし、かなしいです。『草取りに来れれば・・・』と思っても、たまの草取りではだめです。家庭菜園とは違う農業の厳しさを
垣間みた思いです。

残念な人参

枝豆は?「これも少し送れるかしら?どれだけいいものが取れるか分らないけれど・・・」そう、「秘伝」と呼ばれる枝豆(私たちが「だだちゃ豆」呼んでいる)はとてもおいしい枝豆です。が、今年の夏のあの異常気候のせいで、実の入りが本当に悪いです。ふっくらとしっかり入っている実は少なく、全く実のないもの、一粒しかない鞘、鞘に実はあっても、やせ細っているもの、「あ〜ぁ、あのふっくらとした枝豆はどこ???」

実入りの悪い枝豆

農業は本当に厳しい作業!気候に左右される、自らの思い通りにも、計画通りにもいかない事だらけ。思わぬ出来事にも、打撃にも、やわらかく対処して大自然の営みにあわせて行く生き方から、本当の「いのちへの優しさ」が溢れてくるのだと納得しました。     野上記


「いぶき宿通信」No.28

「一般社団法人(非営利)いぶき宿(じゅく)」通信2018 No.28 2018.8

仙台教区サポート会議
8月24日、福島市野田町教会で東日本大震災・福島第一原発事故から7年間の活動を振返り8年目を迎えるにあたり、活動を通して見えている現状、問題、今後の課題について福島県内の小教区で活動を継続している人たちの意見交換がなされました。
All Japanとして、大震災直後から日本のカトリック教会は一丸となって復興支援に取り組んできました。今回の会議は福島の活動について、現場で活動している人から、福島の現状、問題、課題を聴き、8年目を迎える中で、今後の取り組みを考える素材集めだったのでしょうか。
司教団の復興支援担当司教、当地の仙台司教、3教会管区の復興支援責任者の司教(東京出席、大阪と長崎欠席)カリタスジャパンの秘書、司教団仙台教区支援担当補佐、同事務局、全ベースの参加者などが参加していました。
多重な問題が複雑に絡み合った中での活動は年限を経るにつれて難しくなっています。
7年という時間はそれぞれがそれだけ年を取るということです。子どもにとっては成長するということ。当時0才だった乳児は小学校に入り、90才前半だった人は100才を越え、鬼籍に入られた方も多いです。高齢者二人で支え合っていた人の中には一人になった人も。
教皇フランシスコの言葉「現実こそが神の場である。今この時に生きることを大切にしたい」が思い出されました。現実は過去の出来事ではなく、それを背景にした今、それぞれの個人、地域社会、・・・が7年間の歴史(今の連続)を背負っての現実であることを思いました。真摯な想いに背筋が伸び、その現実の前に頭が垂れるようでした。

さんさんバザー@えすぺり
8月25日、「えすぺり」での「さんさんバザー」も10回目を迎えました。原発事故に伴い、地域で農業をしていた人たちはいのちの大地を放射能で汚され、汚染された大地からの放射能が農作物に移行しないように様々な手立てをとり続けながら、農作物の放射線量を一つ一つ測定した日々。出荷停止となり、希望を失い、心身のバランスも崩れ、自ら死を選んだ人も一人二人ではありませんでした。出荷可能なところまで漕ぎ着けても、今度は買ってもらえない日々が続いていたのです。
地域の農家さんと一緒にしていた直売所も閉鎖に追い込まれ、暗〜〜い容姿のお仲間、仲間と一緒に再度、希望を見つける為に仲間の農家さんが農作物を並べることのできる「えすぺり」(エスペラント語で希望)を立ち上げ、そこが人々の集まる場となることを夢みられて大きな借金をかかえての素人の商売の出発を決断されたのは大河原さんご夫妻でした。言葉には尽くせない苦労と眠れない日々が続いたことでした。
その大河原さんに出会えた私たちは、とても感謝しています。私たち「いぶき宿」はいのちのいぶきが出会い、場を共有し、いのちの交流をもち、いのちを育て育むことを夢みています。
その夢が今回の「さんさんバザー」で、目の前にあらわれたようでした。もちろん、今までもこの夢は「えすぺり」で、その時その時に実現していました。が、今回のバザーでは、「神さまの粋なお計らい」に出会った強い印象を持ったのです。「えすぺり」がいのちの様々な側面の出会いの場を提供し、その場を共有している人がいのちを豊かに育てているという実感をもったのです。
最初に出会った頃の「えすぺり」に作物を納入されている農家さんの顔と、今の農家さんの顔は、全くちがいます。希望のなかった顔に希望の光がともり、明るいお顔になり、かかわる人にも希望の喜びを伝えておられるようです。
そして、新しい商品を開発しておられる前向きな姿勢に「希望」を感じました。
そんな場は、絵画展、着物リフォーム展、ライブ、人業劇など、実に様々な人々の文化交流の場でもあります。また、地域の人々の交流として夜のイベント:うぬぼれ文化祭(大人の文化祭)/自分が今嵌まっていること、やっていることの発表会(演奏であったり、朗読であったり・・・)/が開催されて、和気あいあいとそれぞれの別の顔が自己紹介され、関わりを深めておられます。
さて、今回のさんさんバザーでの詰め放題に出されていたのは、枝豆とミニトマトでした。人だかりが・・・覗いてみると、枝豆の詰め放題。あっという間に完売でした。

詰め放題         錦糸かぼちゃ

(詰め放題)                           (錦糸かぼちゃジャムになるよ!)
今回もアロマトリートメントを持って行きました。お顔なじみになっている方もあり、また会えるのがうれしく、楽しみな時でもあります。
「今日はしてもらいたいから、これをもって行って差し上げる」と、ご自分でつくられたおとぎり草の「虫さされ」にいい自然薬を持って来てくださいました。うれしかったです!
お店を出しておられる方々は、お客さんのアロマトリートメントが先と思っておられるので、いつも遠慮がちです。でも、今回は私たちが3人いて何となくゆったりしていたので、イベントが終わってから、次々とお願いできますか?と来てくださり、夕方の6時までトリートメントを提供できました。「あ〜〜あ、今までこのゆったり感が私たちになかったのかな」と反省至極でした。このゆったり感が私たちの中に醸し出されたのは、ひょっとして今日のお二人との出会いかもしれないと思いました。
お一人は、72才の陶芸家、日下部正和さんです。「えすぺり」に入って来られた時、おみ足の悪いことに気づきました。お声かけしてトリートメントをして差し上げたいなと思って、呼び止めました。

ハンドトリートメント               杯

(トリートメント)                               (日下部さんの焼き物)
何か持っていらっしゃる方だなとの直感が働きました。にこっとして「お願いしようかな」と素直に受けてくださった姿勢に、素直な方だなと思いました。お話をうかがいながら、世界の各地に「陶器の焼釜」を作っておられる陶芸家ということが分り、陶器の話しに花が咲き、油滴天目の話しで盛り上がっていました。トリートメントが終わり、「一寸家にいってとって来ます」といって、私たちに油滴天目の杯(ちょっとわけあり)を一つづつプレゼントしてくださいました。また、ご自分が大病で余命3ヶ月と言われてから、書かれたお地蔵さんの顔(墨絵)もプレゼントしてくださり、来年の三春の時に工房をお訪ねする約束をしました。
そしてもうお一人は、サックス奏者の坪山健一さんでした。大変多くのレパートリーの中から、お客さんのリクエストに応えて演奏してくださいました。ソプラノサックス、アルトサックスとリクエストに応じて代えての演奏です。
久しぶりのライブでした。サックス演奏があったせいでしょうか、お客さんが多かったです。また、男性もたくさん来てくださっていたのが印象に残っています。懐かしい曲目が流れ、トリートメントの流れも音楽的になっていました。心地よい空気がみなぎっていました。そして、何とこのサックス奏者坪山さんは高山右近の列福式の音楽を作曲された方だということが話している中で分りました。私たち3人がシスターだの修道院だのとの言葉を発していたのを小耳に挟まれ、ご自分もカトリックだと、同じ信仰の繋がりが一気に距離を縮めました。

サックス演奏         教皇ことば

(サックス演奏)        (日下部さんの墨絵)
「一般社団法人(非営利)いぶき宿(じゅく)」通信2018 No.28 2018.8

 


「いぶき宿通信」No.27

「一般社団法人(非営利)いぶき宿(じゅく)」通信2018 No.27 2018.8

「核兵器禁止条約で変わる世界 被爆国・日本は?」
2018年8月11日(土)鎌倉生涯学習センタ—で、上記表題の講演会・対談が企画された。
講師は、川崎哲氏、講演後川崎氏はスティーブン・リーパー氏と対談された。
川崎氏は、2017年ノーベル平和賞を受賞したICAN(International campaign to abolish nuclear weapons)の国際運営委員をされている。又、ピースボートの共同代表でもある。
スティーブン・リーパー氏は平和活動家であり、2007〜2013年米国人として初めて広島平和文化センターの理事長をつとめていた。
川崎氏は、ICAN事務教区長ベアトリス・フィン氏と共にシンガポールへ行き、朝鮮半島非核化と「核なき世界」へ向けた「5ステップ」の構想、政策提言を行なった。5つのステップは5つのRからなる。
① 核兵器がもたらす非人道的な結末を認識する(recognize)
この認識は、多くの韓国・朝鮮人被爆者を含めて、広島・長崎の生存者の声を聞くことによって得られるのでその声を聴くべきである。
② 禁止条約に加入し核兵器を拒否する(reject)
③ 核兵器を検証可能で不可逆的な計画のもとで除去する(remove)
④ 包括的核実験禁止条約を批准する(ratify)
⑤ 北朝鮮が核拡散防止条約と国際社会に復帰する(rejoin)
この提案は、日本、韓国も積極的に行動し、「核の傘」の幻想から離れて、核兵器禁止条約に加入すべきと提案している。
川崎氏は講演で「核兵器禁止条約」の採択までの経緯や、核兵器禁止条約の内容について丁
寧に説明をされた。
「核兵器禁止条約」採択の交渉会議の日本のテーブルには、大きな折り鶴がおかれその翼にwe wish you hereと書かれていたそうだ。

icat                     折鶴

第一条(禁止)a:核兵器の開発、実験、生産、製造、取得、保有、貯蔵、b,c:核兵器やその管理の移譲(直接、間接)、d:核兵器の使用、使用するとの威嚇、e,f:これらの行為をいかなる形でも援助、奨励、勧誘することg:自国内に配置、設置、配備。
日本が「核兵器禁止条約」に署名、批准することに何ら問題はないということが説明された。核の傘のもとにいるということはアメリカに核を使ってくださいと奨励、勧誘しているようなもので、それは恥ずべき人道に反する行為の加担者になることと同じだとの説明された。
第四条(核兵器の完全廃棄)
この条項の原案を作ったのが南アフリカであった。かつて南アフリカは核を持っていたが、完全廃棄を行なった歴史があり、それを踏まえてこれらの条約の原案が作られたとのこと。それで、現実に即したものとなっている。
第六条(被害者援助と環境回復)
この条項には広島・長崎そして世界核地域での核実験、ウラン採掘による被爆者の証言が大きな役割を果たした。被害者援助に関しては赤十字国際委員会が核の非人道性の声明を出したことが大きく作用した。
ピースボートに広島・長崎の原子爆弾(核)被爆者が乗船し、世界に核被害について当事者が証言をし、現在は福島の原発(核)被災者も
証言者として乗船している。広島・長崎・福島が核廃止で繋がっている。
日本がこの条約に署名し、批准する為に、私たち一人ひとりができることとして、Yes, ICAN、被爆者国際署名の署名活動がある。


「いぶき宿」通信No.26

「一般社団法人(非営利)いぶき宿(じゅく)」通信2018 No.26 2018.5−6

錦糸かぼちゃのプロジェクト
5月29日〜30日に福島を訪ねました。
29日には「えすぺり」で今年の「錦糸かぼちゃ」プロジェクトの具体的相談ができ、新たな希望が見えてきました。
地域の方々の地道な取り組みが歩を進めている事に出会うのはとても励まされます。
電話でご相談してあった、「錦糸かぼちゃ」の種からは、命の芽生えが元気に顔を出していました。

かぼちゃの芽      かぼちゃの定植畑

常磐線沿い
30日には常磐線で「いわき」から「竜田」までいってきました。
いわきから竜田へ向う車窓から眺める海沿いの

景色はそれほど変わっているようには見えませんでしたが、何度みてもフレコンバックの海には不気味なものを感じます。
楢葉の町
竜田駅に降り立つのは三度目でしょうか。前回とは全くちがって復興を感じさせる景色が多々ありました。が、反面なんとも言えない哀しさも感じました。

駅前自転車  駅前民宿   民宿1

竜田駅の駅員さんと話しが出来ました。よそからの人は珍しいと思われます。
小学校、中学校に通っている子どもたちは、楢葉に住んでいるわけではなく、いわき等に住んでいて、通って来ているという話しを聞きました。確かに、帰りの電車で小学生とおぼしき子どもたちといわきまで一緒でした。

学用品店     校内             学校入り口
「いわき」で品川からの特急「スーパー日立」の待ち合わせ。背広姿の男性が乗りついで来ました。隣りのボックスに席に座った人たちは、原発関連会社のそれなりの責任にある人たちのように思われました。別々の会社のようでしたが、作業についての情報交換のような雰囲気が感じられました。「広野」で降りる人たちは、火力発電???「竜田」で降りる人もいましたが、会社の車が迎えに来ていました。楢葉もトラックがかなり走っていました。ハード面の作業を急ピッチで行なっているのでしょう。
人々の実際の生活には厳しいものを感じました。食糧の調達も難儀です。車の運転が出来ないと食べる事も難しいのが現実のようでした。
タクシーも住民から連絡が入れば、駅の人をその場に残し、当然先ず住民です。個人的には、坂道を目的地まで歩きました。
さんさんバザ
6月23日(土)は、「えすぺり」での「さんさんバザー」でした。
今回は日帰りでアロマハンドトリートメントを提供してきました。顔見知りの方々も少しづつ増え、「気持ちがよかったので、またおねがいします」と、長い時間を待ってまで、アロマトリートメントを受けてくださいました。地域の方々がご自分たちで地域を再生していかれる歩みの中での疲れを、アロマハンドトリートメントで少しでも癒してもらえることが出来、次のステップを踏むためのエネルギ—を補充してもらえることが嬉しいです。今回、「このところ、疲れてどうにもならないので、やってください。」とご自分の方からおっしゃってくださった事に本当に来てよかった!と思いました

さんさんバザーザリガニつり  ドレッシング作り

(懐かしいザリガニつり)       (3・5・8ドレッシング作り)