「いぶき宿通信」No.23

「一般社団法人(非営利)いぶき宿(じゅく)」通信2017 No.23 2017.12 

Merry Christmas & Happy New Year!

リースつくり       リース1

〈クリスマスリースつくり〉  〈素敵なリースが出来ました。大満足!楽しかった!〉

12月2日(土)には「えすぺり」でクリスマスリース作りをしてきました。
材料を整えて・・・どんなのができるか楽しみにでかけました。
時間の都合で、午前中2時間ほどでつくり上げて日帰りの福島行でした。
「自分でリースがつくれると思ってなかった」
沢山の材料に、どんなふうにつかおうかな〜〜と眺めるのも楽しそうでした。はじめると、どんどんと飾り付けが進み、次第に緊張していた顔が緩んできました。大人の顔に笑みがこぼれ始めると、顔が若返っていきました。「あ〜〜、たのしかった!」との言葉を発している顔は童顔になっていました。「あ〜〜、たのしかった!」とても心温まる言葉でした。

世界の核災害に関する研究成果
     報告会 

ちらし表        ちらし裏

11月12日に「世界の核災害後始末調査」科研費グループ(代表:今中哲二)「被ばく被害の国際規格研究」科研費グループ(代表:川野徳幸)主催で開催された「世界の核災害に関する研究成果報告会」に行ってきました。250名ほどの人が熱心に研究報告に耳を傾けていました。午前10時から午後6時半までの長時間に亘る報告会で報告された研究は12本。実に内要の濃い1日でした。1日ですべてを聴くのはもったいないくらい、それぞれの研究をもっと時間をかけて聴きたかったと思いました。
* 原子力工学、チェルノブイリ原発事故など原子力が起こした不始末に関わる研究に従事しておられる今中哲二さん
* 「グローバルヒバクシャ」の概念を提唱して、社会学と平和学の見地からマーシャル諸島の米核実験被害調査に従事している
竹峰誠一郎さん
* フランスの民生・軍事核政策を研修している真下俊樹さん
* セミパラチンスク核実験場周辺住民への聞き取り調査をして、社会学的な観点から核被害の実態を明らかにしようとしている
平林今日子さん
* 広島・長崎、セミパラチンスクなど核被害に関する研究をし、被爆者、被災者の被ばくによる精神的・社会的影響について考察している川野徳幸さん
* 原爆・米核実験放射線被ばくについて米公文書を調査している高橋博子さん
* 内科医として被爆者医療の経験をもとに「チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西」を立ち上げ放射線の遺伝的(継世代)影響を研究している振津かつみさん
* 東海村臨海事故を経験し、チェルノブイリ原発事故における人体影響の研究をし、福島の原発事故後いち早く福島に入り汚染の実態を調査し現在福島在住の木村真三さん
* チェルノブイリ、東海村、福島の原子力事故を取材、隠された事故像の発掘に努めているジャーナリストの七沢潔さん
* 行政府のアカウンタビリティ確保という観点から、核災害時緊急事態対応体制を研究している進藤真人さん
* 米国南西部ウラン鉱山開発と環境正義運動、先住民族と「核」に関心を寄せながら、普段は有機農業、育児をしている玉山ともよさん
* 核エネルギ—の「平和利用」をめぐる国際関係をテーマに調査している鈴木真奈美さん
大学で教えている人、ジャーナリスト、そして物理、生物科学から核に迫る人、社会科学から核に迫る人、環境をも含めて実に様々の角度からの研究報告でした。人が、いのちあるものが、この地球という同じ船の中で生きて行くには、もはや国境もなければ、人だけの問題でもなく、核は歴史軸の縦と横を様々に織りなす問題と影響を及ぼしていることに気づかされました。
ビキニの水爆実験、第五福竜丸は心にかけ続けていました。小さかったあのころの、「黒い雨が降るから、雨にはぬれないように必ず傘をさすように。」「マグロは危ないんですって」という会話を昨日のことのように覚えています。そして、東京に来てからは何度か、第五福竜丸を見に行ったり、話しを聞きにいったりしていたにもかかわらず、マーシャル諸島に暮らしている人々のことには心が向いていなかったことに、愕然としました。今回の報告の中でのショックの一つでした。それで、報告会の帰りには早速443ページもある『マーシャル諸島 終わりなき核被害を生きる』(竹峰誠一郎著)を購入して、読みました。
67回に及ぶ米国の核実験が行われたマーシャル諸島。何故マーシャル諸島なのか。そこには差別構造がありました。マーシャル諸島の方々の名前には日本名があります。かつては日本領であった「南洋諸島」です。そこに住んでいる人々のことは日本にいる私たちの視野に入って来なかった事実、第五福竜丸一点しか目に入らず、それが米国の核実験の大きな影響の一部でそれが関係するさまざまな広がりを、人々の生活を・・・広島・長崎の核被害者のその後の生活をつぶさに共にしながら、やはり、他国の同じ核被害者の現実には思いか繋がらなかったことに、想像力の乏しさを痛感しました。
福島の核事故がこれら世界の核事故に連なっていること、そして、福島の人々のことを自分事でなく他人事のように忘れ去っていくように見え感じられる、ほんの数百キロ離れているだけの関東の私たちの現状に寒気を感じています。
大地が、大海が放射能に汚染されたということは、いのちの源が取り返しのつかないダメージを受けたのだという現実をもっと真剣に、真摯にそして謙遜に認める必要性を痛感しています。また、歴史から、かつての核事故からの学びがなされていない現実を話しの中で突きつけられて唖然としました。同時に〈だからあれほどの核事故を起こしたにもかかわらず、収束不可能なほどの状況にもかかわらず、再稼働をし、輸出までしようとできるのだ〉となぜか変な納得をしました。でも、納得してはいけないのです。『核被害に迫っていく上で大前提となることがある。それは被曝がもたらす負の現実は、安易に分ったつもりになってはならないということである。核被害の視えない領域は無限に広がっている。核被害は長い間に亘って、それも徐々に姿を現す。核被害は日々、新しいものである。核被害を固定的に、限定的に捉える見方を批判的に洗い出し、その外にあるものを意識的に拾い上げていく作業が求められる。』(「マーシャル諸島 終わりなき核被害を生きる」p388)
報告会の中で心に深く残っているのは
「原子力開発は核被害の歴史である」
「否定し、嘘をつき、機密にしてきた」
人が人でなしとされ、人体実験のモルモット化されてきた歴史でもあるという事実。
〈ICANのノーベル平和賞に希望をみます。
よいお年をお迎えください〉 

ピックルス1 〈錦糸かぼちゃピックルス〉

試作していた錦糸瓜のピックルスが出来上がりました。新しい商品。来年が楽しみです。

野上幸恵


「いぶき宿通信」NO.22

「一般社団法人(非営利)いぶき宿(じゅく)」通信2017 No.22 2017.10 

自然エネルギ—を重視する
電力会社を選ぼう

国際環境NGO FoE Japan(Friend of the Earth)
の吉田さんは電力システムに関しての基礎知識、その改革と電力自由化もついてとても分りやすく説明してくださいました。従来の電力システムでは選択可能な代替電力がなかったけれど、電力自由化により可能性が出来ました。地球、私たちの家が悲鳴をあげ、共に生きるいのちたちも絶滅に追いやられているのは私たち人類の責任。猶予がないこの地球の現実の中で今出来ることは何かをあらためて考えました。今まで使っていた原発推進を掲げている電力システムに依存し続けてもいいのか、それとも再生可能な自然エネルギーを重視する電力会社を選んで変えるかの決断を迫られています。
従来の電力システム   改革後
・ 国策民営       ・自由競争
・ 地域独占       ・新規参入
・ 総轄原価方式     ・価格競争
・ 原発維持       *原発環境変化
電力システム改革(2013)
再エネ固定価格買取制度(2012)
エネルギ—基本計画(2014)
長期エネ需給見通し(2015)
「原子力事業環境整備」(2015)〈原発維持に国が関わる〉
* 原発の環境変化により原発が不利になるので、安倍首相は原発をベースロードにしたのです。

配布プリント

(配布プリントより)

電力会社を選ぶことができるのは、電力を創り、送り、売るという3部門が分割され、電力分割が行われたからです。
2016年度では再生可能エネルギーは大型水力を含めると15%で、大規模水力以外の殆どがFIT電気です。(FIT電気とは固定価格買取り制度の補助を受けている再生エネルギ—です)
今、FoE(Friend of the Earth)は自然エネルギ—の電力会社を応援するためにパワーシフト・キャンペーンをしています。
パワーシフト・キャンペーンというのは以下のようなことです。
① 自然エネルギ—による電力供給が促進されるように国の政策に働きかける
* 電源構成や環境負荷などの開示・表示
* 自然エネルギー導入を促進する(妨げない)
しくみ
② 自然エネルギーの電力会社や市民電力を
「選びたい」という市民の声を可視化して大きく広げる
* 具体的な電力会社の紹介
* 市民の声によって電力会社を後押しする
* 実際の切り替えの促進
ネットに再生可能エネルギー供給をめざす電力会社のインタビュー、再生可能エネルギーにシシフトした企業や事業所なども載っています。
また、電力会社の紹介も記載されています。

電力会社紹介


地産地消がうたわれて久しいです。地域で生産し地域で消費する。新鮮な野菜、コスト削減などの面からも推奨されています。
日常生活に必要な食物や生活必需品に限らず、電力も同じことかもしれません。
核事故後に福島に住んでいて何度もいわれたことは、「福島第一原発の電気は私たち福島では使っていない!みんな東京に行くんでしょう。東京はこの時間(夜の8時ごろ)でも明るいでしょう!ここは真っ暗!」高圧電線がずっと続いて福島から東京まで。なぜ、あの場所に原発がつくられたのか、歴史が詰まっていました。
さようなら原発
     さようなら戦争
戦争法が成立してから2年の9月19日の前日
代々木公園に9千500人の人々が集まりました。主催は〈「さようなら原発」1千万署名 市民の会〉でした。真夏のようなじりじりと照りつける太陽の下の集いでした。

新聞集会2

木内みどりさんの司会、落合恵子さんの開会の挨拶は、いつもの通りとても力強いものでした。
心を刺し貫くようにぐいぐいと迫って来たのは子どもをつれて大阪に自主避難されている〈原発賠償関西訴訟原告団代表の森松さんの生活者としての核事故後、事故は続いている、心が休まることがないという話しでした。沖縄からは不当逮捕された山城「沖縄平和運動センター」議長も駆けつけておられました。
いろいろなブースも出ていました。六ヶ所村から、大間原発反対の「あさこハウス」からもブースが出されていました。
また、このブースの中のひとつで「福島原発被ばく労災損害賠償裁判を支える会」に出会いました。被曝労働者のことがとても気になっていました。やっと被曝労働者の支援の方に出会えました。
[あらかぶさんは、東京電力福島第一原発の事故収束作業や九州電力玄海原発の定期検査に従事し、急性骨髄性白血病を発症して2015年10月に労災認定を受けました。そして昨年11月、東電と九電を相手に損害賠償を求める裁判を起こしました。全管理に法的責任を負う東電は、労災認定が公表された際、「当社はコメントする立場にない」などと語り、今年2月2日に開かれた第1回口頭弁論でも、責任を認めず収束作業と白血病の因果関係を争うとしています。今も10万人以上の原発事故被災者の生活を脅かしながら、刑事責任も問われず、多くの労働者を被曝を伴う収束作業に使いながら、国が認定した労災すら否定する東電の態度を許してはなりません](ホームページより)
福島第一原発が核事故を起した直後から約50人の労働者が必死の覚悟で未知の世界に挑み、人々を守り続けていたことはテレビの報道などから今も鮮明に映像が焼き付いています。其の中の一人が自らの体験を本「福島第一原発事故に立ち向かった労働者の手記 無の槍」(八里原守著)にされました。
人の葉を通しての情報ではなく、当事者が体験したそのままを書き留めておられ、臨場感がひしひしと伝わり、マスコミが報道しない現場の労働者がどういう人達なのかが分りました。
その本を読んだ2日後に〈福島第一原発1号基冷却「失敗の本質」NHKスパシャル「メルトダウン」取材班〉という本が出たことを知り、大変複雑な思いに駆られています。
被爆しながらあれだけの仕事をした技術者、労働者の働きは何だったのだろうと。彼らが自分たちのいのちをかけた働きが失敗だったこと、海水注入がほぼゼロだったことがわかって・・・

労働組合の幟旗がとても多いように感じられました。戦争も、原発も人をどこか「もの」、しかも消費する「もの」にしてしまう構造のもとでしかありえないのではないかと思われて仕方がありません。

[政治って、今の政治家って、いのちを本気で守ってくれるものなのか、とても疑問になっています。福島第一原発核事故から信じるとはどういうことなのか、情報操作の中で出されるニュースを素直に信じていたことの恐ろしさを痛感しています。しっかり知ろうとする努力を怠ると、本当に「いのち」を知らず知らずに粗末にしてしますと。]

街頭へ更新

(街頭へ行進)


「いぶき宿通信」No.21

「一般社団法人(非営利)いぶき宿(じゅく)」通信2017 No.21 2017.9

横須賀火力発電所建設について考える
10月16日の午後久里浜で行われた集会に参加しました。
集会の前に現場見学があり、火力発電所の場所、そして、下記の工場前に・・・

正門1 正門2

(工場の正門)
この工場は・・・?わかりますか?
知っていますか?
プレートをみなければ、ごくごくふつうの工場です。私がこの工場のことを知ったのは、今から10数年前に浜岡原子力発電所へ行った時のことでした。資料館(?)で浜岡原発の大きな模型をみながら原発の稼働状況を見、核燃料棒の模型についていた説明の中に〈燃料棒は久里浜の工場でつくられ、トラックで運ばれて来る〉
を読み、人ごとではない!自分たちが住んでいたところなんだとびっくりしたことを覚えていて、その工場へ行きたいと思っていたのが、
10数年後に実現しました。
あの浜岡原発に行った時には、原発からの排水口の傍まで行きました。が、海辺の堤防には監視カメラ、人の動きを追って動く監視カメラにぎょっとしたのを今でも鮮明に覚えていますし、その途中なんと、パトカーがきて、私たちに職務質問・・・帰りに東名高速のどこかで止められるのではないかと本当に心配したものでした。
私の想像の中では物々しく警備された金網の張られた工場でしたが。。。。

GNF
Global Nuclear Fuel
これが、その工場です。ふつうの町工場にしか見えません。
この正門から12台のトラックが4台を1隊と

して、隊列を組んで闇に乗じて町の中へ、東日本の原発へと核燃料棒を運んでいるのです。
昨年の9月13日大雨の日に日立物流のトラッ
クが隊列を組んで出て行ったそうです。
刈羽原発へ。交通事故になったら・・・
その門の脇にはプレートが張られていました。

高圧ガスプレート

(A Joint Venture of GE.Toshiba. &
Hitachiが読みとれます)

この工場内にウランが搬入され、砕かれ、ペレットがつくられ、それをつめて核燃料棒がつくられているのです。
その行程の中で、汚染物質が、ウエス(汚れた布など)がでます。それをドラム缶につめて、それがなんと18000本もこの敷地内に。

プレートと幕

(プレートの傍で横断幕をもって)
そこでいろいろと説明してもらっていたら、どこからか1台の車が来て、私たちを脅し始めました。きっと門衛さんが連絡したのでしょう。
ここで聞いた話からここでも事故が起こるに違いないという確信に満ちたものを私の中に生じさせました。直下型地震・・・
2011年3月11日、仕事帰り全ての交通が止まり歩いて帰った住民がみたものは、正門の前を流れている川のそこが見えたこと、川の水はすっかり引かれていた事実。そして、地面に段差が出来たということです。ここは東北からも遠い三浦半島の久里浜です。

地震の亀裂

東電横須賀火力発電所

3本の煙突 以前はなかった鉄塔

(3本の煙突)       (以前はなかった鉄塔)

タービン建屋

(1から8号機までのタービン建屋の2つは既に解体)

集会

横須賀火力発電は重油で発電されていたが、老朽化にともない廃止されることになっていたのに、いつの間にか石炭火力発電を建設する計画に変わっていたことに住民はびっくり。
解体工事にもいろいろな問題があるそうです。
保温のためにアスベストが使われているとのこと。しかし、地域住民には説明がなされていないことがアンケートからも浮かび上がり、たとえ知っている住民であっても噂できいたとか、町役として何となく聞いている程度で、住民説明会などはなされていないことが明白になって来ました。住民にとってもう一つやっかいなことは、解体工事は旧東電、新火力発電所は東京電力フュエル&パワー株式会社からJERAになり、解体、石炭火力反対の交渉は煩雑になっています。
現在、日本各地で石炭火力発電所の建設計画が次々に発表されていて、その数が公表されているだけで48基にも及んでいます。このまま進めば日本中が石炭だらけになるのもそう遠い将来ではないようです。地球環境保全、「私たちの家」を守るどころか破壊に加担する一人とならないように、自らができることを考えて実行していくために、これに続いて「パワーシフト」の講演会がもたれ、これは次号に掲載します。

ちらし

ある日突然、あなたの家の隣のふつうの工場内で核燃料がつくられていると知ったら・・・        野上幸恵