「いぶき宿」通信No.16

「一般社団法人(非営利)いぶき宿(じゅく)」通信2017 No.16 2017.3

15号からの続き

NPO ふよう土2100
100年後の未来が
地域を愛する人であふれかえるように

ふよう土ふよう土パンフ中

未来の子どもたちに今できること それは私たちが有機腐葉土となること
『東日本大震災天災とそれに続く災害は、養護学校や特別支援学級に通う自閉症やアスペルガー症候群、発達障がいの子どもたちとその家族にも等しく降りかかりました。その未曾有の混乱の中,私たちの取り組んで来た活動は、一言で言えば「居場所づくり」だったと思います。』
(パンフレットより)
私たち自身が有機腐葉土になるとはどういうことなのか?と考え続けています。
そそっかしい私は、1年半前に泊まった時にこのパンフレットの表紙だけを目にして古滝屋の若旦那に声をかけたのを覚えています。帰り際だったので話しが聞けず、勝手に有機腐葉土(農業の土)と思い込んでいました。そして今回この温泉旅館に宿をとり、オーナーにお話を聴かせてもらうアポイントをとっての宿泊でした。
「NPOふよう土2100」の理事長として活動しておられるのが「古滝屋」のオーナーです。
ロビーの本棚には地域の歴史、風習、原発関係の本が並び、また、さまざまな活動の紹介なども並べられていました。あの大震災で大きな被害を受け、一時は360年続いた老舗の温泉宿を閉店することも考えられたオーナーは1年半の休業の後に再開されました。
「NPOふよう土2100」は休業中の2011年11月震災直後に設立されたのです。本当に一人一人が生きることに精一杯の中で、生きることの限界に追い込まれていた様々な子どもたちの未来のために「居場所」を作られたのです。
東北から真のライフスタイルを提案
東京で大学、会社勤務と10年間過ごし、平成8年福島県いわき市にUターンされて、実家の温泉旅館古滝屋に入社。旅館のイノベーションに努めて、現在は16代目として老舗温泉宿を経営されている里見さんは別府やドイツを視察後、地域に必要なことはその地の歴史や文化を楽しむことと理解して、温泉宿は地域に根ざし地域の人々が集える場として平成20年よりさまざまな活動を始められました。が、平成
23年3月、福島第一原子力発電所の事故をきっかけに、社会の在り方や経済の進め方に疑問をもたれた里見さんは、「NPO法人ふよう土2100」、原発事故による様々な影響を考察するスタディツアーのガイドを努めるようになりました。伝統芸能の保存活動もしながら、東日本大震災の復興支援にも力を注いでおられます。平成25年にはいわき市内の有志と連携し「おてんとsun企業組合」を設立して有機農業やエネルギーの問題にも取り組んでおられます。日常当たり前のように存在する「衣食住とエネルギー」に対し、人々は真正面から向き合っていないことに気づいて、東北地方から真のライフスタイルを提案して、人々に【衣食住とエネルギー】に気づいてもらえるように北は北海道から南は沖縄まで真のライフスタイルを生きようとしておられる人々とつながりながら、100年後、今よりも人や環境や生き物に優しく、思いやりのある社会を作ることを夢みて活動しておられます。お話を聴きながら人が人として本当のLIFEを生きることがひしひしと伝わってきました。お話しを伺い、私たちの活動の話しもしながらお知恵をいただき、分かち合うことにより新たなつながり出来ました。
大河原さんたち、船引の有機農業の方々のことなどもご紹介し、大河原さんのできたてほやほやのご本と錦糸かぼちゃジャムを差し上げると、朝食に召し上がってくださると・・・
そして、翌朝ロビーに来て見ると、本棚には大河原さんのご本が早速並べられていました。

本

【東日本大震災6年】3月9日付産経ニュースによると古滝屋の使われていない元宴会場をボランティアの学生が利用できる低料金の宿泊スペースとして改装された記事が出ていました。復興事業の作業員が多く集まるいわき市は学生が泊まれるような宿が不足しています。支援で訪れた東京の建築家が「古滝屋」に相談を持ちかけ、使われていない15畳の元宴会場の提供を受けて、東京都市大の学生が半個室型でプライバシーを保てるよう設計した8人が泊まれる写真のようなスペースを8日に完成させました。素泊まりで1泊2千円也。学生にとってボランティアがしやすくなったと思われます。

「古滝屋」では、素敵なオーナーに出会い、生き方の転換に重要な示唆をもらいました。

 

福島県内の震災/原発関連死
2017年3月13日午後5時現在、
直接死1604人、関連死2139人、行方不明196人。直接死の人数は変わりませんが、関連死が日々増え続けています。
今回、里見喜生さんに出会い、有機農業でがんばっておられる大河原さんご夫妻、渡辺さんご夫妻、稲福さんご夫妻に共通するものを感じました。皆さん大自然の一員として謙虚に共にいのちを育もうとしておられ、未来の子どもたちへ手渡すものを考えて生活しておられます。
災害復興のための哲学構築シンポジウム

【あの時の、あれからの福島】
福島からの距離が遠のくと、心して努力しなければ日常の煩雑さに今なお厳しい状況にある原発(核)事故の被害者を忘れてしまいます。それだけでなく、福島の現状をかつての情報(正しいかどうかも吟味しないまま)をもとに誤解されてもいます。現在進行形の被害や誤解の解決のために福島第一原発事故についてもう一度振り返り、学術的・実効的な形で、方向性を模索するために、3月18日(土)に東京大学でシンポジウムが開催されました。
福島原発付近の介護施設、福島で暮らす/暮らせるかどうかの問題、原発事故後に被災動物が語っていること、震災後の母子保健などについて語られ、当時とそれから6年経った今との客観的事実、状況をみて、データーとデーターから読み取れること、そして福島からの距離がはなれることにより忘却のかなたへとあの事故の現実が追いやられていく中で、現在も進行している現実に目を向けて話しがされました。
シンポジストは相川祐里奈氏『避難弱者』著者、安藤量子氏『福島エートス』主催、眞並恭介氏『牛と土』著者、後藤あや氏福島県大教授コメンテーターは桜井市長、早野龍五東大教授、一ノ瀬正樹東大教授、高村昇長崎大教授(原爆後障害医療研究所)13時から18時過ぎても続いていました。
南相馬市桜井市長の歯に衣を着せないはっきりと現状を語られる姿から市民のいのちをまもる市長の並々ならない覚悟が感じられました。

連休中のシンポジウムということもあり、参加者が少なかったことは残念でした。6年前のあの日のことが忘却のかなたへ薄らいで・・・生きづらい人はより生きづらい日々です。核事故に対する温度差は大きいとあらためて感じました。  野上幸恵記


「いぶき宿」通信No.15

「一般社団法人(非営利)いぶき宿(じゅく)」通信2017 No.15 2017.3

3.11を忘れない〜福島から未来へ
2017年3月10日文京区区民センターで上記のタイトルでのイベントが国際環境NGO FoE
(Friend of the Earth)主催で開催されました。
二部構成のイベントの中で様々な現実が当事者から語られました。230名程の参加者でした。

武藤さん

原発事故の被害の実相
☆ 帰還促進政策の中で追いつめられる原発事故被害者たち
☆ つながりあう被害者と福島の今
☆ 保養の現場から
☆ 帰還せざるを得なかった母親からの訴え
母子避難を支える父親として
福島の高校生から〜ドイツで学んだ福島の姿
原発なき未来に向けて
☆ 廃炉作業員と福島原発事故の現実
☆ どうなる東電?どうなる私たちのお金?
☆ 原発事故と電力自由化後の日本のあるべきエネルギ—政策
これらの話しの中で個人的に特に心に残っていることいくつかありました。
①「つながり合う被害者と福島の今」と題しての武藤類子さんの話しで、1F1、2号機の高さ120メートルの排気筒の鋼材の損傷、

2016年6月5日
東京新聞

②高校生が福島第一原発校内を見学したこと。
③楢葉町町長の「帰町しない職員は昇級させないようにしたい」との発言
④被曝労働者の現状
⑤県内での自死の増加、2017年になってから2月末までの間に、件と市町村の職員5人が自死されたこと。2016年4月から数えて9人となっていること

いのちの光3・15フクシマ
〜生業をとりもどそう、地域を取り戻そう、
人間らしさを取り戻すために〜

2017年3月15日その日は東日本大震災により東京電力福島第一原子力は素伝書が3目の爆発をおこし、福島をフクシマへと運命づけられた日でもあります。福島第一原発から25キロの距離にあるカトリック原町教会ではミサによる祈りとその地の人の声に耳を傾ける日としています。
ミサ後に片平芳夫さんの話しを聴きました。

いのちの光片平さん

片平さんは伊達市霊山(飯舘村の北隣り)地区で放牧牧場をされています。あの日、1Fの事故により放射能雲が伊達市にも降り注ぎました。線量は高かったのですが、避難指示にはいたりませんでした。が、高放射線量のため放牧は不可能となり、牛は牛舎に繋がれ、牧草は輸入牧草を与えるという選択しか許されませんでした。当時片平さんの牧場を訪れた時には、全ての牛が牛舎で繋がれ、生まれたての子牛も牛舎の中でした。春の香りが外から漂ってくると、牛たちが出して欲しくて啼くんだと言っておられた片平さんの言葉と繋がれた牛たちの姿が、この日、話しを聴きながら明白に甦って来ました。立てなくなり座ってしまっている牛、亡くなってしまった牛。
原発関連死は人だけではなく、動物たちも・・・
今回の話しで強烈な印象を受けたことに、メガソーラーの話しもありました。クリーンエネルギ—、環境に優しいエネルギ—開発といって太陽光発電が声高に推奨されて、そうだそうだといたく納得していた自分がいましたが、メガソーラーがどんなに自然破壊をしているか、経済優先の価値観に基づいているかを片平さんのご自身の体験とそれに立ち向かっておられる姿から実態の恐ろしさを痛感しました。東京ドーム2.5倍の牧場の除染がはじまり、何度かの訪問の時に大変に貴重な表土がグイッ、ザクッと剥ぎ取られていく様子を目にして、1cmこれで100年、わ!7cmも!これで700年と気が遠くなる土(ここには様々な生のいとなみが凝縮されている)のいのちの歴史の抹殺に怒りを覚えたことが思い出されました。はぎ取られた土は8000トン。はぎ取った急斜面は雨が降れば当然流れるので、牧草を植えて留めてもらう交渉は難航し、先ず個人で1年間実験検査したあとでやっと交渉が成立したそうです。牧場の周りの山々は、バブル時にゴルフ場建設のために売却されました。230ha東京ドーム
46個分。5億数千万円。6年半にわたり、片平さんはゴルフ場建設反対に力をそそがれました。口封じに来た際にもって来た袋には1億円が入っていたとか。勿論突き返されました。しかしバブル崩壊で幸にもゴルフ場はできませんでした。が、その土地が競売になりメガソーラーのために某会社が落札。電力買い取り価格が40円から24円になり、収益を出すためにはメガにする必要性が出て来たのだそうです。その前には片平さんや他の2人に競売の案内が来たとか、一般住民に競売の案内が来るのは希なことだといわれます。落札価格は3012万円。1ha13円。1坪43円。230haのうちの
100haにパネルが置かれる予定です。大きな電力を送電するには今ある送電線では無理なので、地下を掘って地下ケーブルを張って送電する方法をとり、そのために2年間かけて地下を掘る工事がなされます。年商537億円の事業だそうです。山の周りにいるのは93才のお祖父さんと片平さんの2人だけ。地域で酪農をしているのは5人だけですが、他の3人は離れて住んでいます。現在2人で反対をしておられます。開拓後25軒あった酪農家は5軒になってしまっています。5人になったその一人は原発事故後「原発さえなければ・・」との書き置きをして自死、隣村でも自死、と関連死が出ているとのこと。
再生エネルギーはブームですが、メガソーラーは大義名分のもとでの自然破壊。前述のように1cm100年かけて作られて来た土、いのちをはぎ取る行為に片平さんは自分の肌をはぎ取られるような感覚になったといわれます。
「ゴルフ場も、メガソーラーも原発も過疎地がねらわれている。日本全体が「金」に目が向いている。光のあたらないところに光を当てるのが政治なのに、今は光のあたっているところに光を当てている。田舎、陽のあたらないところに住んでいると日本の矛盾がよく見えてくる。価値観の転換をしなければならない。お金ではなく、いのち。いのちが一番大切。自然を大切に。自然と共存し、荒れている日本の山を放牧で循環型の牧場にしたい」片平さんは、いのちが安心、安全に営まれ、育まれることを熱く語られた。ラウダト・シ・・・

大河原さんご夫妻と、4月からの活動をご相談。有機農業の株式会社設立がなされた話しを伺い、2018年度はまた1歩前に向って夢が膨らみました。
湯本の老舗旅館(創業元禄8年)「古滝屋」に泊まり、オーナーの話しになるほど、有機農業に土作りが大事なように、次世代のこどもたちを育てるにも土壌が大切で私たち大人がよい腐葉土にならなければならないんだと・・・続きは次号に     野上幸恵


映画

「いぶき宿」通信17

「一般社団法人(非営利)いぶき宿(じゅく)」通信2017 No.17 2017.5

『飯舘村の母ちゃんたち土とともに』

映画が完成し、上映がはじまっ手から1年経ちました。
昨年2016年5月に東京の東中野のポレポレで公開されたのを皮切りに各地で多くの人々がみてくださっています。
1年経って、韓国・全州(チョンジュ)国際映画祭に招待されました!
この映画祭はアジアを代表するインディペンデント映画祭として注目されています。それに正式に招待されました。ちなみにインディペントという映画というのは、大手映画製作会社以外で作られた映画のことだそうです。
そして、韓国での映画祭参加直後に製作実行委員会主催で『上映&トークと交流の集い』がJICA地球広場国際会議場で開催されました。

映画

 

会場には100人近く足を運んでくださっていたでしょうか!その2/3ほどの人は、この映画を初めて観る人でした。うれしかったです。
福島への、そして原発事故の結果を生きている人々への関心が多くの人々の心の中で燃え続けている事が。忘れ去られていく、福島からの距離が遠くなるにつれて思い出されなくなるという淋しい話しが伝わる中で、なんとかして現状を伝え続けていく事、それに関心を持っている人と繋がりを広げていく事の大切さをあらためて感じました。

忘れているわけではなく、気になりながらも余りにも重たい問題であるために尻込みしている人が多いという事も実感しています。その人たちへも現実、現状を知ってもらうための広報活動は必要だと思いました。
何が起こり、そのときどうだったかという事を映像としての記録に残していく事の大切さ、そして、そこに生きている人々の生活を過不足なしにそのまま残せるのはドキュメンタリーの力だと感じました。文字になった言葉では伝わらない事が、生活者として生きている菅野栄子さん、よし子さんの言葉の調子、声音、笑い声と表情の複雑に絡み合った奥にあるこころもちは・・・
『笑ってねぇど、やってらんねぇ!』
ご自分でも泣き笑いだとおっしゃっていました。
このことばがいつまでもこだましていました。
個人的には3度目の映画鑑賞でした。しかし、今回はトークも交えてとても印象深いものでした。トークのために福島から菅野栄子さん(主演女優!)、酒井政秋さん(飯舘村村民)が監督の古居さんと一緒に分かち合ってくださいました。栄子さんは、原発事故から7年、悩みに悩み続けた年月をすごしてこられました。村に帰るか帰らないか。村にはなにも無くなった。生活していくためのものがなにも無くなった。これからは支援してくださる人の力が自分の生きる唯一の力となっていくと語られた。そして心がいかに豊かであり、共に生きようとする姿が、これからの生きる原動力となるとしみじみ語られました。そして人間らしく共に生きていけるかが挑戦であり、自然に感謝しながら共に助け合って生きていきたい。ご自分が村に帰る決断をした事、かえる目的について語られました。先祖代々、辛苦を舐めながら創り上げ生きて来た美しい故郷、それを断ち切る事は出来ない。飯舘村の再生の土台を作り、飯舘村の歴史を後世に伝え、孫、ひ孫がいつか帰って来るかもしれない時に先祖が自分たちに残してくれたうつくしい村を手渡すために帰る。そこで生活しながら、原発事故の中で生きるという過酷な人生をしっかり原発事故の物語として、そのもの語りは未来へ向かっての物語であり、生きる力を再認識しながら生きていく、と力強く述べられた83才の栄子さんの姿が神々しかったです。それだけでなく、村で生きていく中で、科学者にも責任があること、行政のやり方、国の責任も追及していきたい、避難民になり、帰る事が困難なところに帰らされる難民となり、忘れ去られる棄民をなっていく事に黙って甘んじるのではなく、おかしい事はおかしい、人間らしく生きるために言うべき事はいっていくんだとの確固とした決断に会場からは自然と暖かい大きな拍手がおこりました。
酒井さんは飯舘村で生まれ、大学のために上京。しかし東京が肌に会わず福島に戻り飯舘村で婦人服製造工場に勤務し今後を考えている中で東日本第震災、原発事故に遭われました。仮設住宅に暮らす人々の声を聴き『ふくしまの声』として発信。現在はWELTGEIST FUKUSHIMAのライターとして、原発被害糾弾、飯館村民救済申立団事務局として活動しながら、通信制大学に在学している40才です。
2013年のトークイベントで彼は、30年後、飯舘村の村民としてプライドを持って生きている姿が見えると言っておられた。帰村宣言が出された時の村長の発言から、村民は切り捨てられ、棄民となったと感じられたそうです。栄子さんも親戚の村長は村民の立場に立って発言すべきで、国サイドにつくべきではない。折角選挙運動をいのちをかけてしたのにと口惜しそうでした。彼は今日のトークでは正しい情報を発信する事が如何に大切かを強調し、想像と不正確な情報が偏見と差別を生じさせると話され、自身で正しく正確な情報を発信する努力をされています。が口封じの圧力があるそうです。

帰還困難地域での山林火災

福島県浪江の帰還困難地域
「福島・浪江町の山林火災は発生から12日目の10日午後3時すぎに鎮火が確認されました。火災後に県が設置した大気中の塵に含まれる放射性物質の測定器では、8日の放射性セシウムの値が浪江町で前日の約3倍、双葉町で前日の約9倍に上昇している事が判明。」
(日テレ2017.5.10)
「浪江の山火事、12日目で鎮火 放射線数値の変動なし」
2017年5月10日22時49分 (asahi.com 見出し)
上記のように報道による情報には様々ありました。
わたし自身は山林火災が起こるまで、このような危険を考えていませんでした。
これを『想定外』というのでしょうか?それでは、あまりにもお粗末だと今回気づきました。山林にはあの運命の日に降り注いだ放射性物質が堆積し、除去(移動)もされていない事は重々承知していたのですが、放射能に汚染された木々の落ち葉が燃えるとどういうことになるかは実際には想像に難くなかった筈でした。が、・・・・
楢葉にお住まいのシスター方のことが気になり、連絡を取りました。
お電話での話しに、驚きと怒りが新たにわき上がりました。浪江の山林火災を千葉のご親戚からの連絡までご存じなかったのです。修道院のすぐ上は広域避難場としての大きな運動公園があります。
朝5時前から夜までヘリコプターが止むこと無く、風とほこりを吹き上げ、轟音をとどろかせていたので、「何事がおこったのか?!」と、激しい自宅の振動に耐えておられたそうです。たまたま数日後、畑仕事をしている時に町の防災アナウンスがあり、何か言っていたとか。
この話しに何とももやもやとした不気味なクロクモのようなものが心の中に広がりました。

このような状況の中で、高浜原発が再稼働しました。何がどうなっているのか不思議でなりません。どうしてまだ、原発を動かす事ができるのでしょうか?経済優先なのでしょうか?
原発事故は地域のみならず、国、世界、地球、の問題なのに!          (野上幸恵)