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「いぶき宿」が連携支援している「えすぺり」が日刊紙「福島民友」に

『被災地の声』としてとりあげられていたことを、「えすぺり」のfacebookで知った。

福島民友にえすぺりの記事 (「福島民友」より)

大河原伸さん多津子さんの息子の海さんが、沖縄から震災後に被災地福島に戻って、「えすぺり」を立ち上げた経緯、地域の活性化、地域の希望となるために消費者との顔の見え農業を目指し日夜取り組んでいる状況が取材されている。

 


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5月末に福島へ。今年の「金糸かぼちゃ(金糸瓜)」の成長が楽しみ。

昨年とことなり、今年は全てを大河原さんにおまかせ!下手な手出しがなくて「金糸瓜」もホッとしていたのでしょうか。喜んでしっかり実を付けていたとか。早速いくつかを収穫して、ジャムの加工試作品作りを依頼したのです。おいしいジャムを夢見ています。→「いぶき宿」通信2016 No.2


「いぶき宿」通信 2016 No.1(2016.4)

熊本、九州に大きなダメージを与えている大地震、それでも川内原発を稼働させ続けていることに大きな不安を抱えています。避難生活を送られている人々の痛みを抱えながら、何らかの希望の灯火を届けられることを祈っています。

4月15日(金)16日(土)にかけて、福島へ視察旅行でした。
「いわき」まで常磐線で行き、その先はレンタカーでの移動。今回は6号線を北に上ることはあきらめました。「いわき」から常磐高速道路を利用して一気に 「富岡IC」まで行きました。高速道路に設置されている線量の電光掲示板は広野から相馬までの線量を“0.1〜4.1μSv/hと表示していました。6号 線が開通してすぐにそこ を走り、福島第一原発の付近を通ったときの線量とは比較にはなりませんが・・・

高速道路の高見から下に見えるフレ コンバック(汚染物質を入れたある黒い袋)の海に、はじめて見た人はびっくりされていました。テレビではよく目にする光景、情報としては氾濫するくらいに 流されていることが、実際に見ることによって自らの中に現実のものとして体得されるのだということをあらためて知りました。

富岡駅前に行くために富岡のICをおりてからは町中を通ることになります。その道中にもフレコンバックは今もつまれ続けています。
トラックの往来の多さに驚きました。

道路のすぐ脇の積み上げられて行くフレコンバック

道路のすぐ脇の積み上げられて行くフレコンバック

富岡駅前に行く手前で震災遺構として残された、住民の避難誘導をしながら殉職した二人の警察官が乗っていたパトカーの傍で心の中で手をあわせ、5年経った今も脇の川にはまだ流され壊れたそのままの車に心を痛めました。

2016-1-02

富岡駅前にさしかかり、「えっ!何で海が見えるの?」とあたりの景色の変化よりも海が見えることにびっくり。あの日を境にフレコンバックが積み上げられ、壊れた家屋がそのままだったので、駅への道から海は見えなくなっていたのですが、フレコンバックの向こうに「海」が!
「あっ、周りの家や壊れた車がなにもない!」

2016-1-03

「慰霊碑もなくなっている!!!」
「線量計もない!」「うっそ〜〜〜!」と自らの目を疑ってしまった一瞬でした。
数ヶ月前に来た時に、「あの家、除染してるのかしら?直してるのかしら?」「帰って来られるつもりなんでしょうか」と想像していた、立派な大きな家はそのままポツンとそこにありました。

慰霊碑もなくなり・・・

慰霊碑もなくなり・・・

ポツンと一軒

ポツンと一軒

すっ かり様相を変えた富岡駅前を通り、一路、都路へ向う予定でした。普通ならば「大熊町」を通って都路に入るのですが、「大熊町」は帰還困難区域、立ち入り禁 止区域のために、通ることができず、楢葉町、川内村経由で都路の「ファームハウス」古民家のペンションを訪ねて、都会から移住されて生活をはじめられた経 緯、地元に根付いて行く過程などについてお話を伺いました。宿泊客には近隣のおいしい野菜、地場の食材たっぷりの食事が提供されます。田村市は「ご当地グ ルメプロジェクト」を立ち上げていて、その中に『たむら八彩カレー』があり、野菜など地元産の食材を8種類(内野菜5種類)以上を使うべしという掟に則っ ての食事を提供する店がいくつもあります。ファームハウス都路も其の中の一つです。

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都路をあとに三春町の「三春の里生活館」に、道中、桜、桜、桜・・・
はじめて夜桜の「滝桜」を観賞。「いのち」の力強さ、「いのち」の迫力、気魄にみちた滝桜は圧巻でした。

2016-1-07

今回は朝早く滝桜以外の美しい桜を観賞しました。其の中の一つに「忠七桜」がありました。
この桜は戊辰戦争時に官軍の荷運びに懲役された宗像忠七翁が会津の惨状を目のあたりにして、会津の人々の霊を慰めるために自宅前に植えてあった桜などを移植したものとのこと。たまたま5代目当主にお会いし御案内いただきました。

五代目当主ご夫妻と銀閣寺から来訪し生けられた忠七桜・・・

五代目当主ご夫妻と銀閣寺から来訪し生けられた忠七桜・・・

「えすぺり」では大河原さんとの久しぶりの再会を喜び、今年度の活動について話し合い、歩みを具体化しました。もう「金糸かぼちゃ」の種は植えてくださっていました。感謝です。
そして、今回「たばこ」がどれほど農薬漬けになっているかという恐ろしい話しを伺いました。
これはまたの機会に・・・

多津子さんが準備してくださった昼食、「わっ、ごはんがおいし〜〜〜い!」が私たち全員の反応でした。3・5・8(塩米糀)の使い方を習い早速購入して帰ってから習ったことを実践。



昨年度は本当にありがとうございました。
今年度もどうぞ宜しくお願い致します。
野上幸恵 記


「いぶき宿」通信 No.9(2016.4)

2016年3月11日東日本大震災・大津波から丸5年、それを引き金としての3月12日福島第一原発核事故から丸5年。

2011年夏から岩手県大船渡での支援活動を続けていたことから、毎年3月11日は大船渡教会でのミサに参加しています。

今年も1時半からのミサに参加しました。

その1週間前に当初から関わりのあったUさんが神さまのもとに帰られました。もう1週間待っていてくださったらお会いできたのに!と残念でした。でも、お訪ねしてお線香を上げることができたのは本当に幸いでした。

高齢の奥様と息子さんがご遺骨を安置してある祭壇に案内してくださいました。
仮設から復興住宅に引っ越されたということは耳にしていました。復興住宅に移られて半年だったそうです。

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Uさんに関してはたくさんの想い出があります。
心臓の大手術後、退院して1時間後の大地震、幸に息子さんが一緒だったので避難ができたのです。が、避難所での厳しい寒さの中での生活。多くの人に支えら れたと言っておられたのを覚えています。その中でも、「ずっと死ぬことしか考えていなかった」「死に場所を求めてさまよっていてパトカーで家まで送られ た」などなど、生きる意欲も意味も見出せずに苦しんでおられた姿です。そんな時につくってもらい始めたのが、あの素敵な「ふくろうのストラップ」でした。 ベットの上で一つ一つ丁寧に仕上げておられたお姿が彷彿とします。奥様とお二人でつくり続けておられた「ふくろうのストラップが遺品となってしまいまし た。

今回はじめて新花巻、釜石そして釜石から「三陸リアス線」で盛(大船渡)にはいりました。
リアス線沿線の風景も懐かしかったです。
吉浜は前の大津波の時に、全村高台に移設した村でした。反対も多かった中での村長の決断での全村高台移設でした。そのおかげで今回の大震災・大津波では被災者が一人も出なかった村でした。海辺は破壊され、5年後の今も復興中でした。

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越喜来小学校の跡には何度も足を運びました。
また、多数の犠牲者がでた「越喜来の高齢者施設」では、突然波に攫われた高齢者が「来てください」と頼んでおられるようで、引かれるようにたびたび慰霊碑の前で祈りをささげた場所です。その場所は綺麗に、跡形もなく整理されていました。複雑な思いでした。

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越喜来小が建っていた付近

帰りは大船渡、陸前高田、気仙沼を通って一関に出ました。
大船渡、陸前高田の差にはあらためて驚愕しました。大船渡では2時46分に海に向って手を合わせました。

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大船渡教会から海に向って

大船渡湾の湾口には湾口防波堤がつくられていました。湾口防波堤に関してもいろいろと意見の分かれるところだったのです。
あの日に海のヘドロが全て津波で底を攫われて陸にあげられたのです。その後、大船渡湾は綺麗になったのですが、この高く建てられた湾口防波堤は大船渡湾をどのようにかえていくのでしょうか。

大船渡湾沖の湾口防波堤

大船渡湾沖の湾口防波堤

陸前高田では嵩上げの高さ、その盛り土の強度に不安を感じました。

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盛り土、大丈夫?

盛り土、大丈夫?

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奇跡の一本松の周りの景色のあまりもの変化に言葉を失うようでした。大自然豊かな海辺の松林がなくなっただけでなく、海が見えない程に堤防がそびえ、一本松の傍にベルトコンベアー、勿論いづれこのベルトコンベアーは外されるでしょうけれども・・・
海が見えないほどの堤防で波を防ぐのかもしれませんが、川の流れは町中を、一本松の傍を走っています。川を津波はかけのぼり、人々を、町を、自然を飲み込んではいかないのでしょうか、あの日のように???

気仙沼の港にさしかかると、景色が一変。

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漁船がところ狭しとひしめき合うように繋留していました。何か、ホットしました。
(野上幸恵 記)


「いぶき宿」通信 No.8(2016.2)

「夢見るかぼーちゃん」デビュー

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大 河原さんとの出会いではじまった福島での有機農業者との恊働。それは、核事故(福島第一原発事故)によって激しく脅かされた「いのち」ヘの危機感から、 「いのち」の源を紡ぎだす自然の「いのち」、大地の「いのち」、大海原の「いのち」へのおもいから顔の見える関わりを求め、何十年、否、何百年、いつまで かかるか知れない、核分裂により破壊された大自然を取り戻すささやかな歩みの始まりでした。人が驕り高ぶり自然を支配しようとして引き起こした取り返すこ とが不可能に近い事故。一挙に消費者は「福島産」という文字をみるだけで、敬遠するようになり、その向こうにある生産者の方々の「いのち」が脅かされたの です。絶望のなかで自らいのちを絶った人、精神的なダメージから立ち直れずに豊かないのちを生きられなくなった人、希望をもぎ取られた、その苦悩は計り知 れないものです。経験した人でなければ分らないとは思うのですが、想像を働かせて理解しようと努めてきました。

そんな中で、「金糸かぼ ちゃ」(そうめんかぼちゃ)の種を植え、定植し、収穫させてもらい大河原さんと一緒に育てた「金糸かぼちゃ」でした。野菜として食べること以外、お菓子に する発想はなかった「金糸かぼちゃ」にお菓子としてデビューしてもらうことを夢みてのはじめてプロジェクトでした。

品川区にある清泉女子大 学は品川区と連携・協力に関する包括協定を結んでいます。NPO法人「みんなの食育」は品川区との恊働事業として「こみぷら八潮喫茶コーナー」「みんなの 食育元気食堂」を運営し、元気食堂フェアトレードを企画しています。女子大生とNPOが恊働で食品開発をして「社会貢献活動しながわ」で「夢見るかぼー ちゃん」を販売することになったのです。「夢みるかぼーちゃん」のネーミングは学生です。一緒にミーティングをしていて、「こういう名前は私たちの年代で はでてこないわね」というと、あっさり「そうですね」と。爆笑でした。江戸の品川宿「しながわ」にもかつて「しながわ」で作られていた野菜があったのです が、今は絶滅危惧種の様相を呈しています。それを復活させ、地元の野菜を使って食育をと、「みんなの食育」は考えておられ、地元産の食材を使う中に復興支 援として私たちの「金糸かぼちゃ」も使ってくださることになりました。私たちの夢をかぼちゃに託しました。「夢見るかぼーちゃん」がきっと福島の夢を人々 に発信してくれることを確信しています。

2月13日(土)14日(日)は品川区大井町のイベントホールで「ゆたかな暮し つながる地域2016 品川区消費生活・社会貢献活動展」が開催されました。いぶき宿通信8-2

土 曜日に59団体、日曜日に51団体と品川区内で活動している団体が一同に介してそれぞれの活動紹介と横の繋がりを持ったのです。40年以上の歴史をもつ 「消費生活展」と8年目の「社会貢献活動展」が今年から1つのイベントとして繋がりを密にスタートしたのです。さまざまな活動体がお互い顔を合わせて品川 区という地域に住民への貢献という歩を出すその波が波紋となって日本中にそして、世界につながって行くことを「夢見ているかぼーちゃん」です。区長さんの 挨拶があり、清泉女子大のチアグループのプレゼンでオープニングが盛り上がり、チアガールズから区長さんに「フェアトレード」(昨年のイベントではこれを 販売)バレンタインチョコレートを差し上げるというサプライズもありました。

区長さんも「夢見るかぼーちゃん」のブースに立ち寄ってお買い求めくださいました。いぶき宿通信8-3

どのくらい売れるか心配していた心配をよそに販売開始から2時間弱でマドレーヌ50個、饅頭50個は完売でした。いぶき宿通信8-4

地域の中で学生たちが育てられていることを実感しました。そして、地域の皆様の被災地、そして福島への想いも強く感じられました。岩手県田老のわかめ、こんぶ。福島のお米「金のつぶ」もそれぞれの支援グループによって並べられ販売されていました。


 

忘れていません!!

「東日本大震災5年目を迎えて」〜福島に生きる〜

震災から5年目忘れていない!核の脅威は決して収束していない現実いぶき宿通信8-5

ル ワンダの内戦から逃れて来た福島在住のマリールイーズさんの講演会が高輪教会「被災地支援の会」主催で1月31日に行われました。定期的に講演会を開催 し、福島の野菜を購入し、被災地(岩手、宮城、福島)へ足を運び、人々とふれあう中で、自らの在り方を常に自問しておられる教会の人達の関わりが私たちの 心の灯火を燃やし続けています。福島の農家で草引きをして「金糸かぼちゃ」の畑も見てくださった信者さんに私たちも励まされています。

今回のマリールイーズさんは、私たちと恊働している大河原さんと家族ぐるみのおつきあいのある方です。大河原伸さんの夢はルワンダでの有機農業支援です。そんな夢を核事故は遠くの方へ追いやってしまいました。が、夢は大切に今も心に秘めておられます。

内 戦のときのルワンダの状況をはじめて生の声として聴きました。そして、ルワンダの7〜80%がキリスト者だということも、その6〜70%がカトリック者だ ということも。いつ殺されるかわからない中、故郷をおわれることの辛さ、アイデンティティを根こぎにされることがどんなことであるか身をもって体験してい るマリーさんだからこそ、故郷を奪われた福島の人達の心がいたい程分るのだと知りました。また、今世界中で故郷をおわれ、明日のいのちがわからない、希望 を剥奪されて行く人々の現実が身を切られるような痛みとして感じとられていることがひしひし伝わってきた講演会でした。


2016 年はきな臭い危機感を煽るような始まりです。着々と原発の再稼働が我が物顔に歩を進め、信じられない状況です。それでも希望を失わずに「核」に対峙し、 「いのち」を大切に、生きとし生けるものへのいつくしみと憐れみを深め続けるには豊かな感性と想像力、創造力を問われているようです。今年もどうぞ宜しく お願い致します。「夢見るかぼーちゃん」も宜しく!冬場は地元での活動です。    (野上幸恵)

 


「いぶき宿」通信 No.7(ツアー9回)(2015.12)

Merry Christmas & Happy New Year !

北欧のクリスマスデコレーション/知人の自作

北欧のクリスマスデコレーション/知人の自作

11月27日、28日に福島での活動に行ってきました。

27 日の午後には、葛尾村に近い船引町で「エゴマ」の有機栽培、「エゴマ油の搾油」をしておられるWさんご夫妻をお訪ねしました。テレビで話題になってから、 払拭するほどのブームになっている「えごま」の栽培、収穫、そして、搾油するまでの過程の実に大変な作業を伺いました。

そして、夕方には宿舎に入り、5時から(勤務時間が終わってから)全村避難の葛尾村の役場(以前にも通信に書きましたが、役場も一緒に仮設団地の中に仮設の役場として避難してきています)の職員さんたちの希望者に「アロマハンドトリートメント」をしてきました。
仮設団地には、このようなボランティアが入ったとしても、職員さんたちは遠慮・・・?!
被災しながらの役場の仕事は、ストレスの多い、さまざまな意味での板挟みになったりと、大変な状況は想像に難くありませんでした。
勤務時間外での役場でのボランティアは本当に意味あるものだったと実感しました。
本当に疲れておられたのでしょう!ハンドトリートメントを受けながら、ふ〜〜っと眠りに入っていかれた方もありました。
この時も、あらためて福島は終わっていないことを実感しました。福島からの距離が広がるにつれ、きっと自らの想像力と問題の根幹をみつめる力が問われているように思いました。
福島と関東や東京の間のギャップの大きさは何に由来しているのだろうかと。

次の日は、「えすぺり」でのクリスマスの飾り付けの手伝いでした。

Hindeloopen L’atlier SabotをされているSさんがご自分で絵付けをされたクリスマス・グッズや、北欧、イギリス等で求められたクリスマス・デコレーションを使ってお店を飾 られるお手伝いでした。この度も「えすぺり」のこのスペースを本当にさまざまな方がカルチャースペースとして使い、地域の人々との交流の場とされているこ とを実感しました。
日本全国から訪ねてくれる人、福島から自分たちの生き方を見直そうとして訪れるいろいろな国の人、そして原発事故後の人々の生き方を学びにくる若者と、こ のスペースは地球規模の学び場となっています。この時期に「えすぺり」を訪れる人、買い物に来てくれる人、そして、この地で必死に生きている人々が、今回 のクリスマス・デコレーションを通して自分たちとは違う文化との交わりを体験することになるのです。Sさんは、この飾りの説明を通して、その地での人々の 生活を話してくださるに違いありません。非常に豊かな出会いの場となること間違いなしです。


皆様の暖かいご支援と励ましをいただき「いぶき宿」の第一歩、福島の皆様と共に恵みに満ちた2015年の歩みを続けることができました。ありがとうございました。
先の見えない原発の問題との関わり、地球に住む生き物の一員として「いのち」の源に関わり続けていきたいと思っています。来年も宜しくお願い致します。皆 様お一人お一人の上に神さまの豊かなみ恵みをお祈りもうしあげます。どうぞ、恵みに満ちた新年をお迎えくださいますように。

(野上幸恵)


「いぶき宿」通信 No.6(ツアー8回)(2015.11)

10月30日(金)31日(土)、お天気を気にしながら曇り空の下、福島へ向いました。

今回は「えすぺり」での収穫祭。どんな収穫祭なのかこころわくわく、夢を募らせての旅路でした。
30日(金)には、真っ赤に色づいているりんごの木の下で、自分で“もいだ”りんごを買って帰る夢の林檎もぎ。一つ一つそっともいでいくにつれて、有機栽培、低農薬の栽培がどんなに大変なことなのかが、手に取るように、まさしく、手に取りながら体得した瞬間でした。
虫がよろこんで自らを成長させるに好都合な林檎たち。傷のないりんご、虫の足跡のない林檎を育てることの困難さ。見た目で判断する消費者。虫が触っていると商品にならない!!!
本当は一番安全で、美味しいのに・・・
そんなことを考えながら、学びながら、林檎と戯れ、有機栽培を実感した一時でした。

りんごガールズ

りんごガールズ

りんご園の次に向ったのは、いつまでも忘れることのできない、あの美味しかった『枝豆』、大豆引き。雨が少なかった大地は固く固まっていました。そんなところに健気にも大豆はふっくらと実らせ、さやを膨らませていました。
植えられたまま乾燥させて大豆にしていくとは思っていなかった!仲間もいました。刈り取るのではなく根から引き抜くのです。引き抜き方にもこつがありま す。89才のシスターが私たちの中では一番の大豆引き手でした。後から、大河原さんに、「シスターはちゃんと体で抜いていたけど、後の人は手で引っ張って いたから・・・」といわれ、「うん、やっぱり年季の入っている人は違う!」といたく感心しました。
慣れない大豆引き、皆さん腰は大丈夫だったでしょうか?

みんな必死で大豆と格闘

みんな必死で大豆と格闘

先回と同様、牛さんに挨拶。人懐っこい牛は言葉をかけると耳を傾け、「おいで、おいで」と呼ぶと近寄って来たと喜び、おそるおそる触った牛のつぶらな目に見せられて、そこから動けなくなったKさん。動物は人のやさしさが分るのですね。

つぶらな瞳は何をおもっているのでしょう!

つぶらな瞳は何をおもっているのでしょう!

牛小屋の隣りには、ワンちゃんがつながれていました。このワンちゃん、りんごを食べても芯は残すんですか???さすが、りんごがたくさんあるところは違います。そのくらい、売れないりんごがたくさん出るのです。《私だったら、喜んでそういうりんごでいいんだけれど!》

後日談:この日は次の日の収穫祭の準備で、牛さんに餌をやる時間が遅くなりました。
餌をやりに牛小屋にいってみると、子牛が脱走した後でした。柵を壊して脱走。あまりにお腹が空いて、自分で餌を探しに出かけてしまいました。足跡は、そこ ここ、近くの畑で食事中だったそうです。しかし、この子は大河原さんの息子さんがはじめて植え付けをした「ニンニク畑」を踏みつけていったのです。まだ、 植えたばかりでか弱いニンニクの芽は踏まれてしまい、残念なことに。実は、これまで、地域の農家の間では夫々につくってよい作物、と、つくってはいけない 作物が、家毎に決められていたのだそうです。いまは、農業を廃業した人が多く、その縛りがなくなり、大河原さんの家では、はじめてのニンニクの作付けだっ たのです。それでも、牛に対してのおおらかな心がその話され方から伝わってきました。自然と、動物と大地と一緒に生きていくと、全てに本当に優しくなれる のかも知れません。

31日(土)は「えすぺりの収穫祭」です。

何と、この同じ日に、左手には《大きな収穫祭》、右手にも《大 きな収穫祭》、いずれもJAとか町が主催の催しです。それなりに名の売れた歌手が目玉のイベントとして夫々、呼ばれて来ていました。その谷間で、小さな有 機農業者が一生懸命に育てた、美味しい有機野菜で収穫祭を企画しました。震災、原発事故から5年、大手が道の駅、お店を開店して直売所をはじめています。 小人が大男に立ち向かうようなものです。
今回、ひしひしとそれを体感しました。
有機野菜のファンを増やし、安全・安心・美味しさ、それより他に手立てはありません。それには、どこまでも誠実であること。そこに、人々は集ってくるのだと思いました。

《収 穫祭》開始時刻になっても閑古鳥です。お店の中は一寸、沈んだ空気。「自分たちで楽しみましょう!」と言っても、やっぱり淋しかったです。それでもお昼頃 になると、心にかけてくださっている人達が次々に訪ねてくださいました。そして、準備した食べ物は、人々の胃袋の中に姿を消していきました。嬉しかったで す。

豚汁作りのお手伝い

豚汁作りのお手伝い

あったまる〜〜!

あったまる〜〜!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう一つ、手料理を求めて、あったかい『豚汁』の椀を両手にそっと包んで、小走りにお店の前の道路を右左確かめてお向かいの「公営団地」に入っていった中学生くらいの男の子の背中が、喜んでいたのが印象的でした。
お向かいの団地には、葛尾村からの避難者も復興住宅への入居として入っている人もいるときいています。福島第一原発事故のために4年間避難所、仮設住宅で 困難を極めた生活を過ごして来られ、5年目にあたらしい出発をはじめれ、馴染みのない地域で新しい人間関係をつくっていくことは結構エネルギ—が必要で す。
「えすぺり」がそういう人々のほっとできる「いこいの場」ともなることができることを願っています。

私たちは、「えすぺり」のコーナーでアロマハンドトリートメントを提供しました。

「私 は、いいわ」と言っていた人もトリートメントをしてもらった人の「凄〜〜く、気持ちいい。疲れがス〜〜〜ッと抜けたみたい。軽くなった!やってもらいなさ いよ!」との言葉に、私たちへの心遣いのために、「じゃ」と手を差し出した人の顔が和んでいき、「こんなに手が疲れていたって気がつかなかった!」と嬉し い反響 でした。

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有機農業のファンの方々とのこころ暖まる収穫祭でした。

《福島に太陽光パネルを》
大河原さん夫妻は《お日様の力で電気を自給する自然に寄り添った暮しを福島からはじめ広めたい》と。
https://motion-gallery.net/projects/solaris-fukushima

(週刊金曜日1026号の記事・大河原さん)副島から暮しを変えるプロジェクト

(週刊金曜日1026号の記事・大河原さん)
副島から暮しを変えるプロジェクト

次回のツアー日程:11月27日(金)28日(土)
野上幸恵