「いぶき宿通信」N0.25

「一般社団法人(非営利)いぶき宿(じゅく)」通信2018 No.25 2018.4 

東日本第震災、核事故から7年
3月14日、常磐線を乗り継いで原町まで行きました。今回はじめて富岡駅まで電車で行くことが出来ました。波に流され、慰霊碑が置かれた駅はすっかり様相を変え、津波、核事故の痕跡は一見、見えなくなっていました。

富岡駅ホーム 富岡駅にて

富岡駅外 富岡駅の外は、まだ工事中。

浪江駅に降りたのもはじめてでした。

浪江駅①浪江代行バス

(富岡駅と浪江駅の間が代行バスで、もうすぐ全線が繋がるようです。)

浪江駅舎のタイル

(浪江駅舎の外壁タイルに描かれた馬/相馬焼き?)

富岡町も浪江町も駅に電車は来ていますが、まだ町に人気が感じられませんでした。富岡の駅前にはホテルも建っていました。
原町教会での追悼ミサ、集会の帰りでの電車での帰り道は複雑な思いでした。

第5回いのちの光3・15フクシマ
フクシマが背負ってきたもの
伝え続けるもの

3月15日が今年もめぐってきました。あれから7年、その間、福島は「フクシマ」を背負ってきました。そして、これからも背負い続けていかなければなりません。
福島から距離的に離れている関東圏の人々の意識は3月12日から15日にかけての運命の日を過去のもの、福島での出来事として意識が希薄になって来ているように思われます。目に見える復興の蔭に隠れている現実を想像する力、知ろうとする努力には大きな個人差を感じるこのごろです。
「フクシマ」を背負い続けていくのは福島だけではなく、私たちだと思います。私たちが現実として背負い続け、問い続けなければならない自分事の筈ですが、なぜか「福島は・・・」と言ってしまいます。そこには何か他人事のような印象が拭いきれません。
ミサ後には「南相馬・避難20ミリシーベルト基準撤回訴訟」の原告団長菅野秀一さんが思いを語られ、いちえふ(IF)周辺環境放射線モニタリングプロジェクト共同代表の青木正巳さんが話されました。モニタリングをされている中での話しで、一端放射線量が低下したところでも、枯れ葉が落ちて堆肥になって行くとまた放射線量が高くなる、事故後7年経った今は放射能の汚染源は『土』だとの話しがありました。土壌汚染測定器をもって実際の土を測り、放射線量により変化する音を実際に耳にすることで、見えないものの存在を感じることが出来ました。

ガイガーカウンターで

と同時に、低線量による外部被曝がどのような結果をもたらすのかは未知であること、7年前のあの核事故がもたらした結果は人類にとってはじめての経験で、全てが未知である中での生活であることに非常に難しい問題を感じました。それぞれの人が事実を知り、その中で選びとった生き方を尊重することの大切さをあらためて痛感しました。選びとった中で、未知の世界の中でどのようにして放射線被曝を少なくするかを十分に心して生活を営む以外に今のところ手立てはないように思われました。科学的な根拠を発言される学者さんたちの意見に大きな開きがあることで、私のような全くの素人は未だに「何を信じてよいのか!?」と思うのです。だからこそ、それぞれの人の決断を大事にしていきたいのです。
風評被害についての質問が出た時の答えは、
「風評ではない。実際に放射線量が出ているのだから」でした。その時に思い出したのは、「えすぺり」大河原多津子さん(私たちと共同プロジェクトをしている有機農業者)の「自分たちが丹誠込めて作った野菜を買ってもらう為には、それぞれの野菜の放射線量を測って数値を公表し、それを納得して購入してもらえる人と繋がりたい。その数値では購入できないと思われる人のことも尊重したい。」「勿論自然界にも放射能はあるので、福島の野菜でなくても測れば放射線量は数値として表れるのですが・・・いずれも放射線としては同じものであっても、それぞれの人の思いと感じ方は違い、状況も違うので。それぞれの人の選びにおまかせしたい。」との言葉でした。これが現実で、私たちが背負っていく問題の一つだと思います。もとに戻すことの出来ない事故による結果がこれ以上分断をもたらすことなく、一人一人を大切にする生き方になるように、正確な科学的な分析、研究、知識の情報が正しく伝えられること、智恵が育つ社会となること事を願ってなりません。

江古田映画祭
3・11を忘れない

ドキュメンタリー映画「原発の街を追われて~避難民・双葉町の記録」3部作(監督・堀切さとみ)を観ました。避難されているひとたちの6年間の記録です。「警戒区域のひとたち、「自主避難者」といわれる人たちが避難生活を生き抜く頑張りを支えるのは、私たちがどれだけその人たちのことを想像できるかだと思う」との監督の言葉は説得力があります。
映画の中に7年前に騎西高校に避難された双葉町の書家・渡部翠峰さんが出てきます。最初は美術室で90歳の実母と暮らし、別の教室には妻と義母もいらしたのです。避難した年の8月に、騎西高校の視聴覚室で書道教室を開き、避難生活の中で今までの生活を続け、書道を通して避難者にも生きる意欲をきり拓いていかれる姿、どんな場所にいても自分の生き方を貫こうとされる翠峰先生の姿は「生」の芸術そのものに見えました。畳一枚のスペースがあれば十分といって、3・11後に出会った人を書道の虜にし、この7年で3人目の師範を育てられる姿に感動しました。
この映画祭で、「水俣—患者さんとその世界—」も観ました。環境問題の原点とも言われ、不知火海に36年間も流され続けた有機水銀が原因で水俣病を発症した苦難の歩み。世界に水俣病を知らせることになった記念碑的な名作記録映画、2時間の上映時間があっという間に過ぎました。プロローグの水俣病隠しの話し「魚が売れなくなるから隠し抜いてくれ、代わりに市が“死”を買い取るから」
「腐れて体中の皮が全部はがれた」「嫁ぐ前の娘の死後解剖により脳が、蛸のイボの大きさで黒く焼けこげ脱落していた」との話しなど、死者たちの思い出、遺された肉親の記憶の中にしまわれていた事実が明るみに出されていく、「国とは何ちゅうところか」ともだえる病人に余りの衝撃を受け、会場の呼吸の流れがストップしたようでした。
原発(核)事故による被災者救済サポートのあり方を示唆されたようでした。

3月が近づくと、毎年、東日本大震災・福島第一原発(核)事故のことがずっしりと心に沈んできます。
忘れないことの大切さを今年もあらためて思いました。自分事として。

(野上幸恵 記)

 


「いぶき宿通信」No.24

「一般社団法人(非営利)いぶき宿(じゅく)」通信2018 No.24 2018.2

「原発から這い上がる!」有機農業  −講演と人形劇—

2月4日の日曜日午後2時から、聖心侍女修道会、社会司牧チーム主催の講演会がありました。修道会としても福島支援の一つとして関わってきている有機農業、「えすぺり」の大河原さんご夫妻をお招きして、福島原発(核)事故の語り部としてお二人が取り組んでおられる人形劇も上演していただきました。
大河原多津子さんはご結婚される前から人形劇を学び一人芝居をしておられたのですが、有機農業に憧れ、1985年に有機農業を営んでいた、何代も続く農家の長男大河原伸さんと結婚されてからは、お二人で特に農閑期に人形劇を様々なところで演じておられます。
演目は、いのち、自然、人と人、人と自然との関わりに関するものです。2011年3月の東日本大震災でご自分たちの土地も核事故の被害を受けてからは、語り部として、震災前、被災後、そして未来の生活を3部作の人形劇として脚本を書き、人形を、舞台をすべて手作りで上演しておられます。この3部作を演じていただきました。第一部「過去」第二部「現在」第三部「未来」の合間は、伸さん自作の歌が2曲ずつ歌われました。伸さんは核事故被災時の気持ち、思いのたけを詩に託して歌われました。切ない、やるせない思い、持って行き場のない哀しさ、そして、福島から遠くにいるものの冷ややかさがビシビシと伝わってくるものでした。

① 第一部:過去「パツー」
(トイレはない、パツーのうんこは?)
怪物の「パツー」が、貧しい森の住民においしいキャンディ『おじぇおじぇ』を提供。おじぇをほしがる狸と「何の目的でパツーはやってきたか。ない・・・

②       ③

第二部:現在「太郎と花子の物語」
原木シイタケ農家に起きた悲しみ

④(ねがいは原発のない空)

今より、少しでもいい社会を残すために・・・何をしたらいいんだろうか?

第三部:未来「ソラライズ」
資源のない国ニッポン、核エネルギーを受け入れ、レベル7の事故を起こし、もの、自然、心を破壊された福島の象徴フークン・・・

⑤   ⑥

太陽や風、雨に教えられ、慰められ、再生していく。
自分たちが生まれ育った所は美しい!
自分で産み出した「エネルギ—」は自分たちのもの、大切な故郷、

⑦    ⑧       ⑨ かけがえのない自然の中で未来のあるべき姿を・・・

 

⑩(歌に救われた!)

「正義の味方はどこにいる・・・」

「なみだ〜が、ぽた〜り、ぽた〜り・・・」

心に、滲み訴える   切なく、哀しい・・・

⑪ 福島の方に持って行っていただくものをふくめ、開演前には「アロマルームスプレー」作りもしました。アロマの力がストレスを癒してくれることを願って2012年から毎月欠かさず送ってくださっているボランティアYさんが来てくださっていたのです。共にスプレーをつくる大河原さん親子の微笑ましい姿が、会場設定前の一時にみられました

⑫ 大河原さんご夫妻は丁度1年前2017年2月に「原発から這い上がる!有機農業ときどき人形劇」を出版されました。そこには、大地を愛し、いのちを愛し、いのちの糧となる安全安心な食べ物をつくり続けて来られたご夫妻のプライド、自然との共存の中で自然の中のひとつの命として共存して来られた大切な生活がズタズタにされた苦悩と怒りが実際の背丈で語られています。人形劇の第一部「現在」の脚本「太郎と花子のものがたり」も載っています。
「思いたっちゃんたら吉日」は福島で5人のこどもを育ててこられた多津子さんが、ニュースを通して多くのこどもの問題、親子のすれ違いなどを知り、ご自分の体験が何かの役にたてばと、失敗も含めて孫に語りかけるように「生きる」ことを「人生」を問いかける一つのヒントとして正直にご自分自身の越しかた、見据えている先を書かれたものです。その最後に、人形劇の「過去」「未来」のシナリオが載っています。
「シナリオをつかわせてもらってもいいですか?」との会場からの質問に「どうぞ、どのようにでも使ってください」との寛大がオファーがありました。福島の原発(核)災害の現場での生き方の一つとして多くの人々に伝わり「いのち」を愛おしんでおられる優しさがしみわたることを願っています。

幸せになるための「福島差別」論

2018年1月5日に上記の本が「かもかわ出版」から出されました。その出版記念シンポジウムが1月29日に毎日メディアホールでありました。
本の執筆者は池田加代子、清水修二、開沼博、野口邦和、児玉一八、松本春の、安斎育郎、小波秀雄、一ノ瀬正樹、早野龍五、大森真、番場さち子、越智小枝、前田正治各氏14人。『どっちの味方だ』という問いでなく、「先入観を排除し事実に基づいて事柄を扱う」「被害者の人権の回復をめざす」ことをめざしている人達です。


1. それぞれの判断と選択をお互いに尊重する

2. 科学的な議論の土俵を共有するめざすのは、

                福島の人たちの「しあわせ」

の文字の帯がしめられています。
「放射能災害からの復興とは何か、それは、『災害によって奪われた憲法上の人権を、
1つひとつ回復していくこと』、いうところの人間の復興にほかなりません。そして『差別されずに生きること』を、私は日本国憲法第13条の『幸福を追求する権利』の一つに数えています。避難者の帰還が実現しても、要求通りの賠償がなされても、廃炉や除染が順調に進んでも、被災者に対する差別が続くかぎり『人間の復興』は成就されたとは言えません。」(上記本p.242-243参照)

 

あの日から7年です。忘却のかなたへ薄れ行く、忘れてはいけないことを繋ぎ止め、思いをつないでいくささやかな歩みを・・・


「いぶき宿通信」No.23

「一般社団法人(非営利)いぶき宿(じゅく)」通信2017 No.23 2017.12 

Merry Christmas & Happy New Year!

リースつくり       リース1

〈クリスマスリースつくり〉  〈素敵なリースが出来ました。大満足!楽しかった!〉

12月2日(土)には「えすぺり」でクリスマスリース作りをしてきました。
材料を整えて・・・どんなのができるか楽しみにでかけました。
時間の都合で、午前中2時間ほどでつくり上げて日帰りの福島行でした。
「自分でリースがつくれると思ってなかった」
沢山の材料に、どんなふうにつかおうかな〜〜と眺めるのも楽しそうでした。はじめると、どんどんと飾り付けが進み、次第に緊張していた顔が緩んできました。大人の顔に笑みがこぼれ始めると、顔が若返っていきました。「あ〜〜、たのしかった!」との言葉を発している顔は童顔になっていました。「あ〜〜、たのしかった!」とても心温まる言葉でした。

世界の核災害に関する研究成果
     報告会 

ちらし表        ちらし裏

11月12日に「世界の核災害後始末調査」科研費グループ(代表:今中哲二)「被ばく被害の国際規格研究」科研費グループ(代表:川野徳幸)主催で開催された「世界の核災害に関する研究成果報告会」に行ってきました。250名ほどの人が熱心に研究報告に耳を傾けていました。午前10時から午後6時半までの長時間に亘る報告会で報告された研究は12本。実に内要の濃い1日でした。1日ですべてを聴くのはもったいないくらい、それぞれの研究をもっと時間をかけて聴きたかったと思いました。
* 原子力工学、チェルノブイリ原発事故など原子力が起こした不始末に関わる研究に従事しておられる今中哲二さん
* 「グローバルヒバクシャ」の概念を提唱して、社会学と平和学の見地からマーシャル諸島の米核実験被害調査に従事している
竹峰誠一郎さん
* フランスの民生・軍事核政策を研修している真下俊樹さん
* セミパラチンスク核実験場周辺住民への聞き取り調査をして、社会学的な観点から核被害の実態を明らかにしようとしている
平林今日子さん
* 広島・長崎、セミパラチンスクなど核被害に関する研究をし、被爆者、被災者の被ばくによる精神的・社会的影響について考察している川野徳幸さん
* 原爆・米核実験放射線被ばくについて米公文書を調査している高橋博子さん
* 内科医として被爆者医療の経験をもとに「チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西」を立ち上げ放射線の遺伝的(継世代)影響を研究している振津かつみさん
* 東海村臨海事故を経験し、チェルノブイリ原発事故における人体影響の研究をし、福島の原発事故後いち早く福島に入り汚染の実態を調査し現在福島在住の木村真三さん
* チェルノブイリ、東海村、福島の原子力事故を取材、隠された事故像の発掘に努めているジャーナリストの七沢潔さん
* 行政府のアカウンタビリティ確保という観点から、核災害時緊急事態対応体制を研究している進藤真人さん
* 米国南西部ウラン鉱山開発と環境正義運動、先住民族と「核」に関心を寄せながら、普段は有機農業、育児をしている玉山ともよさん
* 核エネルギ—の「平和利用」をめぐる国際関係をテーマに調査している鈴木真奈美さん
大学で教えている人、ジャーナリスト、そして物理、生物科学から核に迫る人、社会科学から核に迫る人、環境をも含めて実に様々の角度からの研究報告でした。人が、いのちあるものが、この地球という同じ船の中で生きて行くには、もはや国境もなければ、人だけの問題でもなく、核は歴史軸の縦と横を様々に織りなす問題と影響を及ぼしていることに気づかされました。
ビキニの水爆実験、第五福竜丸は心にかけ続けていました。小さかったあのころの、「黒い雨が降るから、雨にはぬれないように必ず傘をさすように。」「マグロは危ないんですって」という会話を昨日のことのように覚えています。そして、東京に来てからは何度か、第五福竜丸を見に行ったり、話しを聞きにいったりしていたにもかかわらず、マーシャル諸島に暮らしている人々のことには心が向いていなかったことに、愕然としました。今回の報告の中でのショックの一つでした。それで、報告会の帰りには早速443ページもある『マーシャル諸島 終わりなき核被害を生きる』(竹峰誠一郎著)を購入して、読みました。
67回に及ぶ米国の核実験が行われたマーシャル諸島。何故マーシャル諸島なのか。そこには差別構造がありました。マーシャル諸島の方々の名前には日本名があります。かつては日本領であった「南洋諸島」です。そこに住んでいる人々のことは日本にいる私たちの視野に入って来なかった事実、第五福竜丸一点しか目に入らず、それが米国の核実験の大きな影響の一部でそれが関係するさまざまな広がりを、人々の生活を・・・広島・長崎の核被害者のその後の生活をつぶさに共にしながら、やはり、他国の同じ核被害者の現実には思いか繋がらなかったことに、想像力の乏しさを痛感しました。
福島の核事故がこれら世界の核事故に連なっていること、そして、福島の人々のことを自分事でなく他人事のように忘れ去っていくように見え感じられる、ほんの数百キロ離れているだけの関東の私たちの現状に寒気を感じています。
大地が、大海が放射能に汚染されたということは、いのちの源が取り返しのつかないダメージを受けたのだという現実をもっと真剣に、真摯にそして謙遜に認める必要性を痛感しています。また、歴史から、かつての核事故からの学びがなされていない現実を話しの中で突きつけられて唖然としました。同時に〈だからあれほどの核事故を起こしたにもかかわらず、収束不可能なほどの状況にもかかわらず、再稼働をし、輸出までしようとできるのだ〉となぜか変な納得をしました。でも、納得してはいけないのです。『核被害に迫っていく上で大前提となることがある。それは被曝がもたらす負の現実は、安易に分ったつもりになってはならないということである。核被害の視えない領域は無限に広がっている。核被害は長い間に亘って、それも徐々に姿を現す。核被害は日々、新しいものである。核被害を固定的に、限定的に捉える見方を批判的に洗い出し、その外にあるものを意識的に拾い上げていく作業が求められる。』(「マーシャル諸島 終わりなき核被害を生きる」p388)
報告会の中で心に深く残っているのは
「原子力開発は核被害の歴史である」
「否定し、嘘をつき、機密にしてきた」
人が人でなしとされ、人体実験のモルモット化されてきた歴史でもあるという事実。
〈ICANのノーベル平和賞に希望をみます。
よいお年をお迎えください〉 

ピックルス1 〈錦糸かぼちゃピックルス〉

試作していた錦糸瓜のピックルスが出来上がりました。新しい商品。来年が楽しみです。

野上幸恵


「いぶき宿通信」NO.22

「一般社団法人(非営利)いぶき宿(じゅく)」通信2017 No.22 2017.10 

自然エネルギ—を重視する
電力会社を選ぼう

国際環境NGO FoE Japan(Friend of the Earth)
の吉田さんは電力システムに関しての基礎知識、その改革と電力自由化もついてとても分りやすく説明してくださいました。従来の電力システムでは選択可能な代替電力がなかったけれど、電力自由化により可能性が出来ました。地球、私たちの家が悲鳴をあげ、共に生きるいのちたちも絶滅に追いやられているのは私たち人類の責任。猶予がないこの地球の現実の中で今出来ることは何かをあらためて考えました。今まで使っていた原発推進を掲げている電力システムに依存し続けてもいいのか、それとも再生可能な自然エネルギーを重視する電力会社を選んで変えるかの決断を迫られています。
従来の電力システム   改革後
・ 国策民営       ・自由競争
・ 地域独占       ・新規参入
・ 総轄原価方式     ・価格競争
・ 原発維持       *原発環境変化
電力システム改革(2013)
再エネ固定価格買取制度(2012)
エネルギ—基本計画(2014)
長期エネ需給見通し(2015)
「原子力事業環境整備」(2015)〈原発維持に国が関わる〉
* 原発の環境変化により原発が不利になるので、安倍首相は原発をベースロードにしたのです。

配布プリント

(配布プリントより)

電力会社を選ぶことができるのは、電力を創り、送り、売るという3部門が分割され、電力分割が行われたからです。
2016年度では再生可能エネルギーは大型水力を含めると15%で、大規模水力以外の殆どがFIT電気です。(FIT電気とは固定価格買取り制度の補助を受けている再生エネルギ—です)
今、FoE(Friend of the Earth)は自然エネルギ—の電力会社を応援するためにパワーシフト・キャンペーンをしています。
パワーシフト・キャンペーンというのは以下のようなことです。
① 自然エネルギ—による電力供給が促進されるように国の政策に働きかける
* 電源構成や環境負荷などの開示・表示
* 自然エネルギー導入を促進する(妨げない)
しくみ
② 自然エネルギーの電力会社や市民電力を
「選びたい」という市民の声を可視化して大きく広げる
* 具体的な電力会社の紹介
* 市民の声によって電力会社を後押しする
* 実際の切り替えの促進
ネットに再生可能エネルギー供給をめざす電力会社のインタビュー、再生可能エネルギーにシシフトした企業や事業所なども載っています。
また、電力会社の紹介も記載されています。

電力会社紹介


地産地消がうたわれて久しいです。地域で生産し地域で消費する。新鮮な野菜、コスト削減などの面からも推奨されています。
日常生活に必要な食物や生活必需品に限らず、電力も同じことかもしれません。
核事故後に福島に住んでいて何度もいわれたことは、「福島第一原発の電気は私たち福島では使っていない!みんな東京に行くんでしょう。東京はこの時間(夜の8時ごろ)でも明るいでしょう!ここは真っ暗!」高圧電線がずっと続いて福島から東京まで。なぜ、あの場所に原発がつくられたのか、歴史が詰まっていました。
さようなら原発
     さようなら戦争
戦争法が成立してから2年の9月19日の前日
代々木公園に9千500人の人々が集まりました。主催は〈「さようなら原発」1千万署名 市民の会〉でした。真夏のようなじりじりと照りつける太陽の下の集いでした。

新聞集会2

木内みどりさんの司会、落合恵子さんの開会の挨拶は、いつもの通りとても力強いものでした。
心を刺し貫くようにぐいぐいと迫って来たのは子どもをつれて大阪に自主避難されている〈原発賠償関西訴訟原告団代表の森松さんの生活者としての核事故後、事故は続いている、心が休まることがないという話しでした。沖縄からは不当逮捕された山城「沖縄平和運動センター」議長も駆けつけておられました。
いろいろなブースも出ていました。六ヶ所村から、大間原発反対の「あさこハウス」からもブースが出されていました。
また、このブースの中のひとつで「福島原発被ばく労災損害賠償裁判を支える会」に出会いました。被曝労働者のことがとても気になっていました。やっと被曝労働者の支援の方に出会えました。
[あらかぶさんは、東京電力福島第一原発の事故収束作業や九州電力玄海原発の定期検査に従事し、急性骨髄性白血病を発症して2015年10月に労災認定を受けました。そして昨年11月、東電と九電を相手に損害賠償を求める裁判を起こしました。全管理に法的責任を負う東電は、労災認定が公表された際、「当社はコメントする立場にない」などと語り、今年2月2日に開かれた第1回口頭弁論でも、責任を認めず収束作業と白血病の因果関係を争うとしています。今も10万人以上の原発事故被災者の生活を脅かしながら、刑事責任も問われず、多くの労働者を被曝を伴う収束作業に使いながら、国が認定した労災すら否定する東電の態度を許してはなりません](ホームページより)
福島第一原発が核事故を起した直後から約50人の労働者が必死の覚悟で未知の世界に挑み、人々を守り続けていたことはテレビの報道などから今も鮮明に映像が焼き付いています。其の中の一人が自らの体験を本「福島第一原発事故に立ち向かった労働者の手記 無の槍」(八里原守著)にされました。
人の葉を通しての情報ではなく、当事者が体験したそのままを書き留めておられ、臨場感がひしひしと伝わり、マスコミが報道しない現場の労働者がどういう人達なのかが分りました。
その本を読んだ2日後に〈福島第一原発1号基冷却「失敗の本質」NHKスパシャル「メルトダウン」取材班〉という本が出たことを知り、大変複雑な思いに駆られています。
被爆しながらあれだけの仕事をした技術者、労働者の働きは何だったのだろうと。彼らが自分たちのいのちをかけた働きが失敗だったこと、海水注入がほぼゼロだったことがわかって・・・

労働組合の幟旗がとても多いように感じられました。戦争も、原発も人をどこか「もの」、しかも消費する「もの」にしてしまう構造のもとでしかありえないのではないかと思われて仕方がありません。

[政治って、今の政治家って、いのちを本気で守ってくれるものなのか、とても疑問になっています。福島第一原発核事故から信じるとはどういうことなのか、情報操作の中で出されるニュースを素直に信じていたことの恐ろしさを痛感しています。しっかり知ろうとする努力を怠ると、本当に「いのち」を知らず知らずに粗末にしてしますと。]

街頭へ更新

(街頭へ行進)


「いぶき宿通信」No.21

「一般社団法人(非営利)いぶき宿(じゅく)」通信2017 No.21 2017.9

横須賀火力発電所建設について考える
10月16日の午後久里浜で行われた集会に参加しました。
集会の前に現場見学があり、火力発電所の場所、そして、下記の工場前に・・・

正門1 正門2

(工場の正門)
この工場は・・・?わかりますか?
知っていますか?
プレートをみなければ、ごくごくふつうの工場です。私がこの工場のことを知ったのは、今から10数年前に浜岡原子力発電所へ行った時のことでした。資料館(?)で浜岡原発の大きな模型をみながら原発の稼働状況を見、核燃料棒の模型についていた説明の中に〈燃料棒は久里浜の工場でつくられ、トラックで運ばれて来る〉
を読み、人ごとではない!自分たちが住んでいたところなんだとびっくりしたことを覚えていて、その工場へ行きたいと思っていたのが、
10数年後に実現しました。
あの浜岡原発に行った時には、原発からの排水口の傍まで行きました。が、海辺の堤防には監視カメラ、人の動きを追って動く監視カメラにぎょっとしたのを今でも鮮明に覚えていますし、その途中なんと、パトカーがきて、私たちに職務質問・・・帰りに東名高速のどこかで止められるのではないかと本当に心配したものでした。
私の想像の中では物々しく警備された金網の張られた工場でしたが。。。。

GNF
Global Nuclear Fuel
これが、その工場です。ふつうの町工場にしか見えません。
この正門から12台のトラックが4台を1隊と

して、隊列を組んで闇に乗じて町の中へ、東日本の原発へと核燃料棒を運んでいるのです。
昨年の9月13日大雨の日に日立物流のトラッ
クが隊列を組んで出て行ったそうです。
刈羽原発へ。交通事故になったら・・・
その門の脇にはプレートが張られていました。

高圧ガスプレート

(A Joint Venture of GE.Toshiba. &
Hitachiが読みとれます)

この工場内にウランが搬入され、砕かれ、ペレットがつくられ、それをつめて核燃料棒がつくられているのです。
その行程の中で、汚染物質が、ウエス(汚れた布など)がでます。それをドラム缶につめて、それがなんと18000本もこの敷地内に。

プレートと幕

(プレートの傍で横断幕をもって)
そこでいろいろと説明してもらっていたら、どこからか1台の車が来て、私たちを脅し始めました。きっと門衛さんが連絡したのでしょう。
ここで聞いた話からここでも事故が起こるに違いないという確信に満ちたものを私の中に生じさせました。直下型地震・・・
2011年3月11日、仕事帰り全ての交通が止まり歩いて帰った住民がみたものは、正門の前を流れている川のそこが見えたこと、川の水はすっかり引かれていた事実。そして、地面に段差が出来たということです。ここは東北からも遠い三浦半島の久里浜です。

地震の亀裂

東電横須賀火力発電所

3本の煙突 以前はなかった鉄塔

(3本の煙突)       (以前はなかった鉄塔)

タービン建屋

(1から8号機までのタービン建屋の2つは既に解体)

集会

横須賀火力発電は重油で発電されていたが、老朽化にともない廃止されることになっていたのに、いつの間にか石炭火力発電を建設する計画に変わっていたことに住民はびっくり。
解体工事にもいろいろな問題があるそうです。
保温のためにアスベストが使われているとのこと。しかし、地域住民には説明がなされていないことがアンケートからも浮かび上がり、たとえ知っている住民であっても噂できいたとか、町役として何となく聞いている程度で、住民説明会などはなされていないことが明白になって来ました。住民にとってもう一つやっかいなことは、解体工事は旧東電、新火力発電所は東京電力フュエル&パワー株式会社からJERAになり、解体、石炭火力反対の交渉は煩雑になっています。
現在、日本各地で石炭火力発電所の建設計画が次々に発表されていて、その数が公表されているだけで48基にも及んでいます。このまま進めば日本中が石炭だらけになるのもそう遠い将来ではないようです。地球環境保全、「私たちの家」を守るどころか破壊に加担する一人とならないように、自らができることを考えて実行していくために、これに続いて「パワーシフト」の講演会がもたれ、これは次号に掲載します。

ちらし

ある日突然、あなたの家の隣のふつうの工場内で核燃料がつくられていると知ったら・・・        野上幸恵


「いぶき宿通信」No.19

「一般社団法人(非営利)いぶき宿(じゅく)」通信2017 No.19 2017.6

【福島の現状を知る旅】
久しぶりにミニバスをチャーターして福島の視察に出かけました。10人での旅でした。
東北道を郡山に向って走りながら、窓の外の景色に目を留めました。前回の通信でメガソーラーについて触れましたが、東北道のバスから見えた景色で一番ハッとしたのは、ソーラーパネルでした。耕作放棄地にソーラーパネルが並べられていることが気にはなっていました。が、いたるところがソーラーパネルで埋められていました。あのパネルの下の土が「息苦しいよ〜〜!」と言っているように聞こえて仕方ありませんでした。それだけでなく、あのメガソーラー程ではありませんが、小高い山肌が裸になり、ソーラーパネルを着せられているのにはびっくりしました。その脇の木々も伐採途中でした。写真を撮ろうとしたのですが、わたしの反応が遅く、バスはす〜と高速を走ってしまいました。
郡山から磐越道に入り船引三春で高速をおりました。4月の桜の時期には車の行列が出来る場所です。千年余の三春の滝桜を見に行くにはここからです。
「さんさんバザー」(地域のミニミニバザー)に「えすぺり」に農作物、加工品を出しておられる地域の方々が協力してなさっているミニバザーです。「錦糸かぼちゃジャム」を作ってくださる稲福さん、今年「錦糸かぼちゃピックルス」を作ってくださる村上さん、そして「エゴマのピリ辛しょうゆ漬け」を一緒に作りたいなとおもっている渡辺さん、そして地域の皆さんの懐かしいお顔に出会えてとてもうれしかったです。

バザー店バザー食堂

アロマハンドトリートメントの提供をしました。はじめての方がアロマハンドトリートメントを体験してくださいました。「手が動きにくく冷たかったのに暖かくなり、とても気持ちよかった」と言ってくださり、うれしかったです。そして、「たばこ」栽培農家の方で原発事故後3年経った時の悲しい現実を話してくださいました。ビニールハウスで栽培していて、ビニールの取り替えで、そのビニールを下に敷いてタバコの葉を収穫して置いたらば、その葉から放射能が検出されて全て廃棄処分になり辛かった話しでした。

【いわき魚業】
夕方いわき教会でミサに与りました。ミサ後に、漁業関係の信者さんがいわきの漁業の現状について話してくださいました。いわきではまだ8%ほどしか操業が戻っていないそうです。1割も戻っていないんです、7年目に入っているのですが。原発事故当時既に生まれていた魚で寿命の長い種類の魚はまだ、放射能が検出されるのです。が、寿命の短い魚は世代交代しているので検出されないそうです。しかし、消費者は福島の魚というだけでダメ。買ってもらえないのです。買ってもらえなければ魚を獲っても・・・これだけでなく、補償、賠償の問題も絡みいろいろと難しいことがあるとのことです。
「聖書にある『お金は悪』ということがわからなかった。が、震災後の賠償金、補償金をめぐってのやり取りの中で、「お金がなければ生活できないが・・・お金が手に入ると、とどまるところを知らないように要求が高まってくるし、要求のための理由付けも功名に考えられるようになってくる。聖書の言葉の意味しているところが、わかった!」とのお話に人の性の哀しさを知りました。賠償、補償はされなければ正義が行われません。が、とどまるところを知らなくなる要求で人は自らを貶めて行く現実もあるということ。

【浜通の現状】
広野町のJヴィレッジがどのようになっているのか・・・サッカーボールを目安にビレッジへの道を進んだのですが、今までと全く様子がちがいました。前線基地になっていた建物の傍にも行くことが出来ず、工事のためそこへ通じる道は全て封鎖。ビシッと並んでいた車もなく、
整備されていたアスファルトは全てはがされ、サッカー場への復興途中でした。

かつての前線基地j-道を挟む事務所?
(かつての前線基地)         (道を挟んで飯場?事務所?)

【請戸小学校のあった請戸地区】
生憎の曇り空に、深い霧のために今回全くと言ってよいくらい視界が悪くあたりが見えませんでした。それに加え、小学校の入り口は閉ざされ、近づくことが出来なくなっていました。
7年目ともなると確かに何時どのような崩壊があっても不思議ではないのですから。

請け戸小学校請け戸小学校②

(2017.6学校の入り口)           (2013 左の写真の奥)

請け戸墓

(かつて祈りを捧げた、お墓も片付けられ跡形もなかった)

小学校からIF小学校窓からIF

(対岸に見える1F —2013— 小学校の窓から見える1F)
かつての状況を知らない人にとって、請戸地区は家々が立ち並び、人々の生活のいぶきがあったということを知る手がかりはなくなっていました。「ここにも家があったんですか?」
小学校があったから、人は住んでいたに違いないと想像するしかないような状況でした。
霧が深かったために焼却炉も隠されていました。下の写真のように見える筈でした!

焼却炉焼却炉②

(2017.1 に小学校の玄関を背にしてとった写真)

【浪江「希望の牧場」】
浪江の希望の牧場を訪ねました。

希望牧場①

(牧場に地震で亀裂が/2013)

希望牧場フレコンバック
(牛とフレコンバックが共存している/2017.6)

【ふる里からの手紙—楢葉より】ー作詞作曲:梅原司平
あの朝駅の赤いポストに入れた手紙はどこへ
人影もない浜通には柚の実がうれていた
ふつうに笑ってふつうに泣いたいつものあの日を返して
ただいま おかえり さりげない言葉が
こんなに大事なものとは しらなかった
あぁ ふる里 それは私の生命
あぁ ふる里 それは私のすべて

心の傷は癒えなくとも外見は刻々と変化し、次第に何があったのか忘れられていくようです。忘れてはいけないことをしっかりと心にとめておきたいです。   野上幸恵


「いぶき宿通信」No.18

「一般社団法人(非営利)いぶき宿(じゅく)」通信2017 No.18 2017.5

【相馬伊達太陽光発電所 メガソーラーの現場】
通信15号に記載したように片平さんの話しが心から離れず、5月24日片平さんを訪ねてメガソーラーの現場を案内してもらいました。
東京ドーム50個分のメガソーラー。

メガソーラー予定地

想像がつきますか?このために何が起こるのか・・・
太陽光発電はよいものだとの認識。どんな太陽光発電もよいものだと短絡的に理解してしまう危うさを今回程身に滲みて感じた事はありませんでした。それも、現場に立ってメガソーラーが大自然に対して何をどうするのか、目の前で説明してもらい、メガの意味を身体で感じる事が出来たからだと思います。言葉だけでは実感が出ません。山並みの見える場所にたって、あの山のその地点から稜線を辿ってどこまで(見える範囲)の6倍の広さだといわれて、「え、。。。」(目が点になるなんてものではありませんでした。想像がつかないわけです。)
そして、今見えている山並みが崩され、形が変えられ、緑がなくなり、ソーラーパネルが並ぶのです。それだけでなく太陽の反射熱の影響が連鎖する事、蓄電するために起こる低周波の影響・・・送電は地上では不可能なので地下ケーブルでの送電になること。自然破壊は連鎖していきます。パネルは南向きに立てられなければ効率が悪いので山の形は変えられることの説明にも、「そうなんだ」と自分の想像力の乏しさを今回はこれでもかこれでもかと畳み掛けられたようでした。

無くなる山(あの山の翠は失われ、いのちのないソーラーパネルが立ち並ぶ)

この現場の麓には、鶏糞が何年も何年も廃棄されていました。これも半端な広さではないです。「鶏糞なら、いい土壌になるんですよね!」
と有機肥料のことを考えていたら、「鶏糞ばっかり何十年も廃棄しているから駄目だ」といわれて、「そういうものなのか!」と一つの種類だけではいのちは生きていけないんだ、多様な
ものの共存があってこそいのちは永らえるもの
なのだという事に気づきました。

鶏糞の廃棄場と無くなる山(消えゆく山と手前の鶏糞の廃棄場)

「過疎地はどこも同じ問題をかかえている。
過疎地だからメガのため利用されるんだ」との片平さんの言葉に、辺境の地、過疎地がメガに狙われている現実が日本の各地で起こり、地球規模でも起こっていると理解しました。

反対運動の93才と
(93才のおじいさんとその息子、片平さんの3人でメガに立ち向かう)

 

【第11回Cosmosカフェ  「原発事故後起きている新たな電力問題」】
Cosmosカフェは「いのちの光3・15」として原町教会信徒有志と地域の市民により2011年以降の生き方を考えることをテーマとして学習会を2014年から企画しておられます。学びの場を「カフェ」と名付けて11回目はご自分の牧場に隣接する山を崩しての自然破壊、いのちの破壊、過疎地を狙うメガソーラーの問題がテーマで、反対運動をしておられる片平さんが講師でした。

11回カフェメガ説明

ソーラーパネルが悪いわけでなく、大規模に自然を破壊していのちの循環を断ち切ること、また、メガにしなければならない理由が経済、利潤追求のためであり、そのために人口減少が起こっている過疎地が狙われていることだと片平さんは強調されます。いのちが殺されていき、人のいのちも危険に晒されるわけです。
相馬玉野地区だけでなく、同じようなことが長野でも進められているとか、いたるところ過疎地は色んな意味で狙われているのです。

【牛さんたちはどうしてますか?】
片平さんの牛さんたちのその後の様子も気になっていましたので、牛たちに出会えたのもうれしかったです。
片平さんの牧場にもあの日放射性物質が降り注ぎ、いのちの大地にその忌まわしい物質が堆積してしまったのです。そのために、牛たちは牛舎に繋がれたままになりました。何度も交渉を重ね、引きはがされた土壌に再度牧草を植え、放射能が検出されなくなるまで、繰り返しの植え替えで、やっと放牧が可能になったのが去年でした。それまで牛たちは仲間を失いながら牛舎で耐えて来たのです。その耐えたあとが、放牧されている牛たちの足に残っていました。痛々しい姿でした。

変形した牛の足

(牛舎に繋がれていた数年で変形した牛の足、仲間を失いながら)

広々とした牧草の間で草を食んでいた牛たちに片平さんが「こい、こ〜〜い、こい」と優しく呼ばれると、三々五々、牛たちが呼ばれた方によってくるのです。大きな身体の円な瞳でよってくる牛たちの表情は穏やかで優しく、心なしか口角があがりうれしく笑っているようでした。まるで、なでてくれといわんばかりに柵に顔を寄せてきました。

牛さん撫でてと呼ぶと来る牛

この日の朝、片平さんが牧場に出て見ると、なにかいつもと違いそこにうずくまっているものがあり、子牛が生まれていた事に気づかれたそうです。早速息子さんを呼び、子牛を牛舎に入れる事になったのですが、牛たちを放すのに一苦労されたそうです。生まれて数時間の子牛をみたのははじめてでした。初乳を飲んだ後なので満足してゆったりと座っていました。隣りのお姉さん牛が鼻でなでているのもかわいらしかったです。久しぶりの牛たちとの再会でした。

子牛
(いたわり合う動物の世界)

野上幸恵 記


「いぶき宿通信」No.20

「一般社団法人(非営利)いぶき宿(じゅく)」通信2017 No.20 2017.9

【漫画「いちえふ」】
漫画

7月10日「毎日メディアカフェ」では、竜田一人さんが講師として「いちえふ」の現状を、現場で働いた人としての体験から話しをされました。まんが「いちえふ」を読んでいたので当事者からの生の話しを興味深く聴きました。
「いちえふ」は2012年10月から第一原発で働き始めた竜田(仮称)が生の体験を後世に残すために記録として漫画に描き、「モーニング」で連載されたものです。漫画本として刊行されたのは2014年。
反響は大きく、ドイツ語、フランス語、スペイン語・・・そして英語は今年2017年に刊行されました。英語が遅れたのは、右開きの日本語版を左開きの英語にしてページに書かれている分割(まんが)を日本語版と忠実に同じにしたことから遅れたとか・・・
また、この漫画はかの大英博物館に保存版として所蔵されているとのことです。確かに生の記録としては大変に貴重なものです。
竜田さんは、記録を漫画だけでなく、歌でも残そうと思われ、毎日走っていた国道6号線の詩をつくり、歌として披露してくださいました。
『ルート6』の2番の歌詞には
スタート地点Jヴィレジは、日本サッカーの聖地
東京電力完全占拠で 今やピッチも駐車場
ここで着替えろドライバスーツは白いツナギのタ
イベック・・・と続き、国道6号線の状況が記録
されています。
富岡の手前での通行禁止区域でUターンさせられて帰って来たあの頃を思い出しました。
あれから、7年。福島浜通は大きく変わったところと、依然としてそのままのところの格差が

どんどん広がっているようです。

【環境変化条例で対応: 太陽光発電所アセス広がる】

朝日新聞8月21日の朝刊にメガソーラーが環境影響評価(アセスメント)法の対象外となっていることから来る環境破壊が生じていること、生物保護が議論もされることなくメガソーラーの建設がなされ、千葉県成田市の湿地を訪れる野鳥が少なくなり、希有な野鳥がみられなくなっているとかかれていました。
霊山の美しい山並みが変形され、豊かな木々が伐採されてメガソーラーに場を奪われる日が刻々と迫っていることに危機感を募らせているわたしたちは、霊山を訪ねました。今回は富山からの友人も一緒でした。彼女の友人は今滋賀県で建設されようとしているメガソーラーの反対署名を一生懸命にしています。

酒井さん(竹かごは酒井さん作)

前回訪ねた酒井さんを訪ねました。本当に喜んでくださいました。「知らない人がこうして訪ねてくれるって、ありがたいね」とおっしゃってくださりながら、「私は片平さんの縁の下で応援してるだけ」と93才のお年を感じさせない力強さを感じました。そこにはかつてゴルフ場建設に狙われて7年近い年月の反対運動の末、バブルがはじけたことによりゴルフ場の建設が不可能となった闘いが隠されていました。今同じ場所がメガソーラー建設地(東京ドーム46個分)として確保されています。その反対運動をしているのは酒井さん親子と片平さんの3人。わたしたちに出来るのは、こころにかけて一緒に反対していますとのメッセージを送ることくらいで歯がゆいです。が、それでもそんなわたしたちの訪問を喜んで暖かくむかえてくださる優しさは自然との共存から生まれてくるのでしょうか!

蚕廃屋(かつては、養蚕が盛んだった地域。お蚕さんの廃屋)

過疎地化していった土地は買い占められ、ゴルフ場の建設計画が。

ゴルフ場事務所(ゴルフ場建設計画の頃の事務所あと)

それもはじけ転売された価格が何と5億数千万円から3012万円に。(「いぶき宿通信」15参照)

中間貯蔵(原発核事故。奥に見える囲いは放射性物質中間貯蔵施設)

クリーンエネルギ—としての原発がおこした核事故の影響をもろに受けている霊山に、新たなエネルギ—供給としてメガソーラーの建設が襲っています。奥に見える山並みがなくなるということの意味を想像する力が問われています。
あの山が3.5キロずっと形を変えられ、パネルが張られるという途方もない環境破壊の計画を多くの人は知らされないままです。
伊達市にいる人も知らないと言うことを「さんさんバザー」で出会った人から聞いてびっくりしました。また、三春町、田村市(共に原発事故被災者福島県民)の人々の「知らなかった!」との言葉に知らされないままに全てが準備されていくという事の繰り返しに・・・背筋に冷たいものが流れました。

【えすぺり「さんさんバザー」8月26日】
バザー(今回もお仲間がブースを出して、お客さまをおまちしました)

アロマグッズ作りハンドトリートメント
(私たちは来店くださった方々のハンドトリートメントとアロマグッズ作りを提供しました。

 

6月に来てくださった方がハンドトリートメントが気持ち良く、今回も会えるのを楽しみに来てくださり、沢山の方がハンドトリートメントとアロマグッズ作りを満喫してくださいました。
ハンドトリートメントは好評で9時半過ぎから3時半くらいまで切れ目なくトリートメントを提供しました。それでもトリートメントを受けられなかった方がいらっしゃり残念でした。次回は何人かで出来る体制をとってうかがえたらと思います

【富岡駅は大変化】
富岡駅前ホテル富岡駅ロータリー

(瀟酒な駅舎とロータリー、駅前にホテルまで!1!)

【帰還困難区域はあの日から朽ちていく】
帰還困難①帰還困難②

(立ち入ることの出来ない区域、あの時のまま)

 

 

次回「さんさんバザー」は10月28日(土)です。ご一緒に福島にいらっしゃいませんか?
7年前からの時間がいろいろなことを語ってくれます。
『百聞は一見にしかず』                      野上幸恵


「いぶき宿」通信No.16

「一般社団法人(非営利)いぶき宿(じゅく)」通信2017 No.16 2017.3

15号からの続き

NPO ふよう土2100
100年後の未来が
地域を愛する人であふれかえるように

ふよう土ふよう土パンフ中

未来の子どもたちに今できること それは私たちが有機腐葉土となること
『東日本大震災天災とそれに続く災害は、養護学校や特別支援学級に通う自閉症やアスペルガー症候群、発達障がいの子どもたちとその家族にも等しく降りかかりました。その未曾有の混乱の中,私たちの取り組んで来た活動は、一言で言えば「居場所づくり」だったと思います。』
(パンフレットより)
私たち自身が有機腐葉土になるとはどういうことなのか?と考え続けています。
そそっかしい私は、1年半前に泊まった時にこのパンフレットの表紙だけを目にして古滝屋の若旦那に声をかけたのを覚えています。帰り際だったので話しが聞けず、勝手に有機腐葉土(農業の土)と思い込んでいました。そして今回この温泉旅館に宿をとり、オーナーにお話を聴かせてもらうアポイントをとっての宿泊でした。
「NPOふよう土2100」の理事長として活動しておられるのが「古滝屋」のオーナーです。
ロビーの本棚には地域の歴史、風習、原発関係の本が並び、また、さまざまな活動の紹介なども並べられていました。あの大震災で大きな被害を受け、一時は360年続いた老舗の温泉宿を閉店することも考えられたオーナーは1年半の休業の後に再開されました。
「NPOふよう土2100」は休業中の2011年11月震災直後に設立されたのです。本当に一人一人が生きることに精一杯の中で、生きることの限界に追い込まれていた様々な子どもたちの未来のために「居場所」を作られたのです。
東北から真のライフスタイルを提案
東京で大学、会社勤務と10年間過ごし、平成8年福島県いわき市にUターンされて、実家の温泉旅館古滝屋に入社。旅館のイノベーションに努めて、現在は16代目として老舗温泉宿を経営されている里見さんは別府やドイツを視察後、地域に必要なことはその地の歴史や文化を楽しむことと理解して、温泉宿は地域に根ざし地域の人々が集える場として平成20年よりさまざまな活動を始められました。が、平成
23年3月、福島第一原子力発電所の事故をきっかけに、社会の在り方や経済の進め方に疑問をもたれた里見さんは、「NPO法人ふよう土2100」、原発事故による様々な影響を考察するスタディツアーのガイドを努めるようになりました。伝統芸能の保存活動もしながら、東日本大震災の復興支援にも力を注いでおられます。平成25年にはいわき市内の有志と連携し「おてんとsun企業組合」を設立して有機農業やエネルギーの問題にも取り組んでおられます。日常当たり前のように存在する「衣食住とエネルギー」に対し、人々は真正面から向き合っていないことに気づいて、東北地方から真のライフスタイルを提案して、人々に【衣食住とエネルギー】に気づいてもらえるように北は北海道から南は沖縄まで真のライフスタイルを生きようとしておられる人々とつながりながら、100年後、今よりも人や環境や生き物に優しく、思いやりのある社会を作ることを夢みて活動しておられます。お話を聴きながら人が人として本当のLIFEを生きることがひしひしと伝わってきました。お話しを伺い、私たちの活動の話しもしながらお知恵をいただき、分かち合うことにより新たなつながり出来ました。
大河原さんたち、船引の有機農業の方々のことなどもご紹介し、大河原さんのできたてほやほやのご本と錦糸かぼちゃジャムを差し上げると、朝食に召し上がってくださると・・・
そして、翌朝ロビーに来て見ると、本棚には大河原さんのご本が早速並べられていました。

本

【東日本大震災6年】3月9日付産経ニュースによると古滝屋の使われていない元宴会場をボランティアの学生が利用できる低料金の宿泊スペースとして改装された記事が出ていました。復興事業の作業員が多く集まるいわき市は学生が泊まれるような宿が不足しています。支援で訪れた東京の建築家が「古滝屋」に相談を持ちかけ、使われていない15畳の元宴会場の提供を受けて、東京都市大の学生が半個室型でプライバシーを保てるよう設計した8人が泊まれる写真のようなスペースを8日に完成させました。素泊まりで1泊2千円也。学生にとってボランティアがしやすくなったと思われます。

「古滝屋」では、素敵なオーナーに出会い、生き方の転換に重要な示唆をもらいました。

 

福島県内の震災/原発関連死
2017年3月13日午後5時現在、
直接死1604人、関連死2139人、行方不明196人。直接死の人数は変わりませんが、関連死が日々増え続けています。
今回、里見喜生さんに出会い、有機農業でがんばっておられる大河原さんご夫妻、渡辺さんご夫妻、稲福さんご夫妻に共通するものを感じました。皆さん大自然の一員として謙虚に共にいのちを育もうとしておられ、未来の子どもたちへ手渡すものを考えて生活しておられます。
災害復興のための哲学構築シンポジウム

【あの時の、あれからの福島】
福島からの距離が遠のくと、心して努力しなければ日常の煩雑さに今なお厳しい状況にある原発(核)事故の被害者を忘れてしまいます。それだけでなく、福島の現状をかつての情報(正しいかどうかも吟味しないまま)をもとに誤解されてもいます。現在進行形の被害や誤解の解決のために福島第一原発事故についてもう一度振り返り、学術的・実効的な形で、方向性を模索するために、3月18日(土)に東京大学でシンポジウムが開催されました。
福島原発付近の介護施設、福島で暮らす/暮らせるかどうかの問題、原発事故後に被災動物が語っていること、震災後の母子保健などについて語られ、当時とそれから6年経った今との客観的事実、状況をみて、データーとデーターから読み取れること、そして福島からの距離がはなれることにより忘却のかなたへとあの事故の現実が追いやられていく中で、現在も進行している現実に目を向けて話しがされました。
シンポジストは相川祐里奈氏『避難弱者』著者、安藤量子氏『福島エートス』主催、眞並恭介氏『牛と土』著者、後藤あや氏福島県大教授コメンテーターは桜井市長、早野龍五東大教授、一ノ瀬正樹東大教授、高村昇長崎大教授(原爆後障害医療研究所)13時から18時過ぎても続いていました。
南相馬市桜井市長の歯に衣を着せないはっきりと現状を語られる姿から市民のいのちをまもる市長の並々ならない覚悟が感じられました。

連休中のシンポジウムということもあり、参加者が少なかったことは残念でした。6年前のあの日のことが忘却のかなたへ薄らいで・・・生きづらい人はより生きづらい日々です。核事故に対する温度差は大きいとあらためて感じました。  野上幸恵記


「いぶき宿」通信No.15

「一般社団法人(非営利)いぶき宿(じゅく)」通信2017 No.15 2017.3

3.11を忘れない〜福島から未来へ
2017年3月10日文京区区民センターで上記のタイトルでのイベントが国際環境NGO FoE
(Friend of the Earth)主催で開催されました。
二部構成のイベントの中で様々な現実が当事者から語られました。230名程の参加者でした。

武藤さん

原発事故の被害の実相
☆ 帰還促進政策の中で追いつめられる原発事故被害者たち
☆ つながりあう被害者と福島の今
☆ 保養の現場から
☆ 帰還せざるを得なかった母親からの訴え
母子避難を支える父親として
福島の高校生から〜ドイツで学んだ福島の姿
原発なき未来に向けて
☆ 廃炉作業員と福島原発事故の現実
☆ どうなる東電?どうなる私たちのお金?
☆ 原発事故と電力自由化後の日本のあるべきエネルギ—政策
これらの話しの中で個人的に特に心に残っていることいくつかありました。
①「つながり合う被害者と福島の今」と題しての武藤類子さんの話しで、1F1、2号機の高さ120メートルの排気筒の鋼材の損傷、

2016年6月5日
東京新聞

②高校生が福島第一原発校内を見学したこと。
③楢葉町町長の「帰町しない職員は昇級させないようにしたい」との発言
④被曝労働者の現状
⑤県内での自死の増加、2017年になってから2月末までの間に、件と市町村の職員5人が自死されたこと。2016年4月から数えて9人となっていること

いのちの光3・15フクシマ
〜生業をとりもどそう、地域を取り戻そう、
人間らしさを取り戻すために〜

2017年3月15日その日は東日本大震災により東京電力福島第一原子力は素伝書が3目の爆発をおこし、福島をフクシマへと運命づけられた日でもあります。福島第一原発から25キロの距離にあるカトリック原町教会ではミサによる祈りとその地の人の声に耳を傾ける日としています。
ミサ後に片平芳夫さんの話しを聴きました。

いのちの光片平さん

片平さんは伊達市霊山(飯舘村の北隣り)地区で放牧牧場をされています。あの日、1Fの事故により放射能雲が伊達市にも降り注ぎました。線量は高かったのですが、避難指示にはいたりませんでした。が、高放射線量のため放牧は不可能となり、牛は牛舎に繋がれ、牧草は輸入牧草を与えるという選択しか許されませんでした。当時片平さんの牧場を訪れた時には、全ての牛が牛舎で繋がれ、生まれたての子牛も牛舎の中でした。春の香りが外から漂ってくると、牛たちが出して欲しくて啼くんだと言っておられた片平さんの言葉と繋がれた牛たちの姿が、この日、話しを聴きながら明白に甦って来ました。立てなくなり座ってしまっている牛、亡くなってしまった牛。
原発関連死は人だけではなく、動物たちも・・・
今回の話しで強烈な印象を受けたことに、メガソーラーの話しもありました。クリーンエネルギ—、環境に優しいエネルギ—開発といって太陽光発電が声高に推奨されて、そうだそうだといたく納得していた自分がいましたが、メガソーラーがどんなに自然破壊をしているか、経済優先の価値観に基づいているかを片平さんのご自身の体験とそれに立ち向かっておられる姿から実態の恐ろしさを痛感しました。東京ドーム2.5倍の牧場の除染がはじまり、何度かの訪問の時に大変に貴重な表土がグイッ、ザクッと剥ぎ取られていく様子を目にして、1cmこれで100年、わ!7cmも!これで700年と気が遠くなる土(ここには様々な生のいとなみが凝縮されている)のいのちの歴史の抹殺に怒りを覚えたことが思い出されました。はぎ取られた土は8000トン。はぎ取った急斜面は雨が降れば当然流れるので、牧草を植えて留めてもらう交渉は難航し、先ず個人で1年間実験検査したあとでやっと交渉が成立したそうです。牧場の周りの山々は、バブル時にゴルフ場建設のために売却されました。230ha東京ドーム
46個分。5億数千万円。6年半にわたり、片平さんはゴルフ場建設反対に力をそそがれました。口封じに来た際にもって来た袋には1億円が入っていたとか。勿論突き返されました。しかしバブル崩壊で幸にもゴルフ場はできませんでした。が、その土地が競売になりメガソーラーのために某会社が落札。電力買い取り価格が40円から24円になり、収益を出すためにはメガにする必要性が出て来たのだそうです。その前には片平さんや他の2人に競売の案内が来たとか、一般住民に競売の案内が来るのは希なことだといわれます。落札価格は3012万円。1ha13円。1坪43円。230haのうちの
100haにパネルが置かれる予定です。大きな電力を送電するには今ある送電線では無理なので、地下を掘って地下ケーブルを張って送電する方法をとり、そのために2年間かけて地下を掘る工事がなされます。年商537億円の事業だそうです。山の周りにいるのは93才のお祖父さんと片平さんの2人だけ。地域で酪農をしているのは5人だけですが、他の3人は離れて住んでいます。現在2人で反対をしておられます。開拓後25軒あった酪農家は5軒になってしまっています。5人になったその一人は原発事故後「原発さえなければ・・」との書き置きをして自死、隣村でも自死、と関連死が出ているとのこと。
再生エネルギーはブームですが、メガソーラーは大義名分のもとでの自然破壊。前述のように1cm100年かけて作られて来た土、いのちをはぎ取る行為に片平さんは自分の肌をはぎ取られるような感覚になったといわれます。
「ゴルフ場も、メガソーラーも原発も過疎地がねらわれている。日本全体が「金」に目が向いている。光のあたらないところに光を当てるのが政治なのに、今は光のあたっているところに光を当てている。田舎、陽のあたらないところに住んでいると日本の矛盾がよく見えてくる。価値観の転換をしなければならない。お金ではなく、いのち。いのちが一番大切。自然を大切に。自然と共存し、荒れている日本の山を放牧で循環型の牧場にしたい」片平さんは、いのちが安心、安全に営まれ、育まれることを熱く語られた。ラウダト・シ・・・

大河原さんご夫妻と、4月からの活動をご相談。有機農業の株式会社設立がなされた話しを伺い、2018年度はまた1歩前に向って夢が膨らみました。
湯本の老舗旅館(創業元禄8年)「古滝屋」に泊まり、オーナーの話しになるほど、有機農業に土作りが大事なように、次世代のこどもたちを育てるにも土壌が大切で私たち大人がよい腐葉土にならなければならないんだと・・・続きは次号に     野上幸恵